小説家、評論家。仮名垣魯文に師事し、戯作者として出発。明治22(1889)年『小説八宗』により文壇に登場し、『初学小説心得』(1890)等によって風刺的な批評を展開した。その後『油地獄』(1891)等を発表し、小説家としての地位も確立した。29(1896)年からは同年創刊された雑誌『めざまし草』の文芸時評「三人冗語」で、森鴎外、幸田露伴とともに参加。江戸文学の軽妙な文体と風刺的な精神を特徴として、小説や批評の他、多くの警句や箴言も残した。
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