明治17(1884)年逓信省電信修技学校卒。22(1889)年『露団々』を発表し、文壇に登場した。中編『五重塔』(1891-92)によって「紅露時代」として尾崎紅葉と並び称される地位を得た。次第に小説からは遠ざかり、中国史や中国思想への深い教養を駆使して、史伝や随筆、考証の領域に優作を残した。昭和12(1937)年第1回文化勲章を受章。小説家の幸田文は次女である。
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