小説家。大正8(1919)年早稲田大学卒業後、下村千秋らと同人誌『十三人』を創刊、同誌掲載の「爪」(1919)が島崎藤村に認められる。13(1924)年に私小説的作品『父を売る子』『父の百ヶ日前後』を発表し、文筆生活に入る。昭和6(1931)年小林秀雄ら芸術派を集めて雑誌『文科』を主催、同年『ゼーロン』『バラルダ物語』で独自の幻想的な文体と作風を示す。以後は『鬼涙村』(1934)等の作品を発表するも、次第に神経衰弱を患い、自死した。
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