医師の子として生まれるが、若くして事業を興す。地元物産の販売等を手がけるも失敗し、明治4(1871)年に上京、薪炭・石炭などの商売を通じて渋沢栄一の知遇を得、17(1884)年に払い下げられた官営深川セメント工場を浅野セメント(後の太平洋セメント)として発展させる。また同郷の安田善次郎の資金援助を受け、海運・鉱山・造船・鉄鋼・電力など多角的に事業を展開し、一代で浅野財閥を築き上げた。