大垣藩士の子に生まれ、大村益次郎、佐久間象山から蘭学、英語、砲術を学ぶ。明治政府で通訳翻訳方をつとめ、明治3(1870)年横浜毎日新聞創刊に際し、活版印刷所の日就社を創立、『英和字彙』を発行。6年、柴田昌吉と共に『附音挿図英和字彙』を出版した。7年読売新聞を発刊し、庶民向けの平易な内容の新聞編集を行い、初代社長を務めた。13年に貿易会社扶桑商会を設立し、15年に日銀監事に就任するなど実業界でも活躍した。26年『いさみ新聞』を創刊した。
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