俳人。明治42(1909)年東京帝大法学部卒。中学時代から句作し、大正4(1915)年から荻原井泉水の俳句雑誌『層雲』に参加し、種田山頭火とともに、自由律俳句の代表的俳人となる。東洋生命保険会社(後の朝日生命保険)を経て、朝鮮火災海上保険会社支配人として京城に赴任したが退職。12年、家族と別れ京都の一燈園に入り、各地で寺男を務めたのち、小豆島の南郷庵で隠遁生活を送った。
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