彦根藩士の家に生まれる。幼少から語学に秀いで、東大法学部卒業後、岩崎弥太郎の援助でイギリスへ留学しバリスター(法廷弁護士)の資格を得る。帰国後、英吉利法律学校(後の中央大学)創立に加わり、明治18(1885)年初代校長。弁護士としても活躍し、東京代言人組合会長、弁護士組合会長を務めた。