赤星家の養子となり、明治10年代に五代友厚らと神戸港の桟橋建設に乗り出す。海軍創設に関わった樺山資紀や西郷従道らと親戚にあたり、軍艦に設置する大砲の特許権によって利益を得る。貸金業等の事業を通じて莫大な資産を形成し、絵画や茶道具等の古美術コレクションの蒐集に努めた。茶の湯をたしなみ、流派は裏千家で千宗室(13代 圓能斎)に師事したという。