物理学者。大正7(1918)年東京帝大工科大学卒業。10年理化学研究所(理研)に入所し、研究員としてヨーロッパに留学し量子物理学を研究した。帰国後は理研の長岡半太郎研究室に入る。6年仁科研究室を創設し、宇宙線、原子核等の研究を進めるとともに、朝永振一郎をはじめ研究者の育成に努める。12年人工元素変換装置であるサイクロトロンを完成させる。戦後の理研解散の際には、株式会社科学研究所を創設し、ペニシリンの国産化を成功させる等、組織再建に尽力した。21年文化勲章受章。