司法官。明治2(1869)年に出仕し、15年伊藤博文に随行してヨーロッパの裁判制度を調査、19年司法次官。23年大審院検事総長に就任し、翌年の滋賀県大津で護衛巡査がロシア皇太子を襲撃した大津事件を担当。26年大審院長。のち、貴族院議員、東京弁護士会会長。晩年は感化事業に尽力した。
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