写真の中の明治・大正 国立国会図書館所蔵写真帳から

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コラム<関西>

4 京都帝室博物館―明治の洋風建築

京都博物館の写真
京都博物館 『京都名勝』より

観光客でにぎわう三十三間堂の向かい、赤レンガの塀に囲まれた、やはり赤レンガと黒いスレート屋根の広壮な洋風建築、それが京都国立博物館の特別展示館である(京都国立博物館のホームページ)。

同時に建設された表門とともに昭和44年(1969)に重要文化財に指定されたこの建物は、宮内省の技師・片山東熊が設計したもので、明治25年(1892)6月に着工し、28年(1895)10月に竣工した。宮内省所管の帝国京都博物館として開館したのは30年(1897)5月で、33年(1900)に京都帝室博物館と改称、大正13年(1924)には京都府に下賜されて恩賜京都博物館となった。昭和27年(1952)京都国立博物館となり、今も現役の展示館として活躍し続けている。

この写真は明治40年代、京都帝室博物館と呼ばれていた頃のものである。現在も外観は変わっていない。

設計者の片山東熊は、工部大学校造家学科(現東京大学工学部)第1期の卒業生である。鹿鳴館の設計者であり、日本近代建築の礎を築いたコンドル(J.Conder)の教えを受け、明治12年(1879)の卒業後は宮内省内匠寮で活躍した。

片山の代表作は42年(1909)竣工の赤坂の東宮御所(赤坂離宮。現迎賓館)で、華麗なフレンチ・バロック様式の宮殿はわが国洋風建築の総決算とも言われる記念的建造物である。なお、国立国会図書館は昭和23年(1948)の発足時から36年(1961)までこの御所を仮庁舎としていた(当館の沿革)。

この京都帝室博物館も宮殿風の壮麗な建物で、終生宮廷と官庁建築の設計のみに従事した片山らしい古典様式の作品である。正面玄関上の三角形のペディメントには仏教世界の美術工芸の神とされる毘首羯磨(びしゅかつま)と伎芸天の彫刻を載せ、博物館を象徴している。白い沢田石のドリス式付け柱、赤レンガの壁面の上にフランス風の優美な曲線の黒いマンサード屋根が、東山のなだらかな緑を背景にゆったりと立ち上がり、色彩的にも美しい。17室に分けられた内部にも意匠が凝らしてあり、とくに中央広堂は天皇行幸時の臨時玉座として計画されたため、白い漆喰で塗り上げ、列柱をめぐらせてギリシャ神殿のような荘重な雰囲気に仕上がっている。現在は封鎖されているが、当時は天井の大窓から採光していた。

京都帝室博物館は京都を代表する明治洋風建築であり、明治期の名所案内にも「実に宏壮堅固の構造なり」と紹介されている。しかし、帝国図書館(現国際子ども図書館)の設計者・真水英夫は、片山が「此好機を利して以て斬然たる一形式を創造」することなく泰西風の様式を採用したこと、角部屋を全く同一にした単調な手法などをあげ、「氏(片山)が大作数多ありと雖も本建築の如きは蓋し上乗のものにあらず、其関西に高名なるは設計の妙によるにあらず類なければなり」と批判してもいる。

片山は、東京駅等の設計者で工部大学校同期の辰野金吾が学界・教育界と民間建築で、東京府庁等の設計者で後輩の妻木頼黄が官庁建築でそれぞれ活躍したのと並んで「明治建築界の三雄」と称せられた。三者は、片山がフランス、辰野がイギリス、妻木がドイツと、それぞれ異なる作風を目指した。

関西地区では、片山の帝国奈良博物館、伊勢神宮徴古館(神宮の博物館ホームページ)、辰野の日本銀行大阪支店日本銀行京都出張所、妻木の丸三麦酒醸造工場(現半田赤レンガ建物(半田市ホームページ))等の作品が現存している。また、京都、奈良、そして東京の表慶館(42年(1909))と、戦前からある三つの国立博物館では、雰囲気はそれぞれ違えど、いずれも壮麗な片山の作品を現在も見ることができる。

奈良博物館の写真
奈良博物館 『日本写真帖』より
表慶館の写真
表慶館 『東京風景』より

引用・参考文献

  • 真水英夫「帝国京都博物館」『建築雑誌』134号,明治31(1898) 【Z16-80】)
  • 京都国立博物館編『京都国立博物館百年史』京都国立博物館,1997 【UA31-H43】
  • 『京都の明治文化財.建築・庭園・史跡』京都府文化財保護基金,1968 【709.2-Ky9953k】
  • 小野木重勝『日本の建築明治大正昭和.2 様式の礎』三省堂,1979 【KA81-32】
  • 藤森照信『日本の近代建築』岩波書店,1993 【KA81-E78】