1878年第3回パリ万博

科学と芸術の国、フランス

名称
:Exposition Universelle
開催期間
:1878年5月20日~11月10日
場所
:パリ(シャン・ド・マルス、トロカデロ)
入場者数
:1,603万2,000人

フランスはこの万博で、フランスに成立した第三共和政を世界に宣伝し、フランスが再び文化の中心として復活したことを誇示する目的があった。この万博以前に勃発した普仏戦争で1871年にプロイセン(ドイツ)に敗北し、アルザス=ロレーヌ地方を割譲、50億フランもの賠償金を支払った敗戦国であったからである。そして、ドイツ帝国はフランスから正式に招待されることはなかった。

会場は、前回のパリ万博の会場となったシャン・ド・マルスに加え、トロカデロの丘まで拡張された。シャン・ド・マルスには長さ760メートル、幅350メートルの長方形の展示会場が、トロカデロの丘には中央のホールから左右に円弧を描いて伸びる翼廊を持つトロカデロ宮殿が建てられた。

この万博では、前回の万博よりも更に強く科学技術と芸術が結び付けられた。トロカデロの会場内には電車が走り、セーヌ川から汲み上げた水によって4つの噴水が造られた。この水は、機械館の床に通してクーラーとしても使われた。トロカデロの本館ではフランスの美術品が展示されると共に、一方では様々な国際会議が開かれた。また、トロカデロには自然の地形を生かした水族館や植民地パビリオンもあった。

万博の本会場では、アルディ(L. A. Hardy)が設計した巨大な建物の外観が印象的であった。機械館では、巨大な機械や装飾を施された家具や芸術品などが展示された。巨大な蒸気機関と芸術品はこれまでのように目を引く出展品であったが、今回の万博では小さくともその後に普及した製品が目についた。アメリカの出展品には、ウィルソン(A. Wilson)やシンガー社などのミシンがあった。また、エディソンは音声を電気信号に変えるマイクロフォンや蓄音機を披露した。

シャン・ド・マルスには、「自由の女神」の頭部が建設された。毎日、何百人もの見物人が、自由の女神の頭部に登るために列を成した。また、日本もシャン・ド・マルスに日本館を建て、トロカデロ会場にも、古物館への出品の他、茶室や日本庭園を持つ日本式家屋を建てて参加した。

今回の万国博覧会は、開催当初には多くの入場者を集めたが、最終的には巨額の赤字を出すこととなった。

参考文献:

平野繁臣 『国際博覧会歴史事典』 内山工房 1999 <D7-G26>
Finding, J. E., Pelle, K. D. ed.: Historical dictionary of world's fairs and expositions, 1851-1988 (Greenwood Press, 1990) <D7-B3>