洋書の部
第1章 書物の意匠
19世紀に入って書物が大量に印刷されるようになるまで、本造りは主として手作業でした。手で丁寧に書き写されていた写本(マニュスクリプト)を大量に複製することを可能にしたのがグーテンベルクによる印刷術の発明ですが、それでも10倍程度のスピード・アップに過ぎませんでした。活字の彫金・鋳造・植字等すべて手作業であり、インクを塗ることも紙にプレスすることも、さらに製本することも、すべて手作業でした。 そうした中で、書物の意匠はしだいに標準化されていきます。当初は活字の書体も様々であったものがローマン体へと標準化されていき、本のサイズも小型化していきます。本にはページ付けや標題紙、目次、索引などが加わるようになり、書かれる内容も飛躍的に多様化していきました。
アリストテレス『オルガノン デ・アニマ』
Aristoteles.
Organon. De anima.
Manuscript written in Paris, about
14th-early 15th century. 1 v. 30.5 x 21.0 cm. Parch. 【WA42-29】
『オルガノン』は中世の大学で使われた基本的論理学書で、「カテゴリー論」「命題論」「分析論」「トピカ」等からなる。展示本は当館の所蔵する唯一の彩色写本で、12葉または14葉による15の丁(quire)が1冊に製本され、最初の1葉を欠く。丁と丁のつなぎには当時の慣例としてキャッチ・ワードが書かれている。33行2段、獣皮にテクストゥラ体で筆写されており、少なくとも3人の写字生が製作に当たっている。旧蔵者としてベルギーのカルメル会士Johannes Guldener(又はGoldener)の名が見られる。
アルベルトゥス・マグヌス『ミサの秘儀』
Albertus Magnus, Saint, Bp. of Ratisbon, 1193?-1280.
[De mysterio
missae.]
Ulm: J. Zainer, 1473. 1 v. f° 29.5×21.0cm 【WA42-34】
アルベルトゥス・マグヌスは中世の最も多作な学者で、インキュナブラの時代になっても彼の著作は多数(180点以上)出版された。本書の印刷者ヨハン・ツァイナー(fl. 1472-93)はロイトリンゲンの出身で、アウグスブルクの有名な印刷者ギュンター・ツァイナーとは親戚。ヨハンがウルムで印刷業を開始したのは1472年であるから、本書は彼の初期の仕事である。丸みを帯びた活字体はFere-humanisticaあるいはGotico-antiquaと呼ばれる。余白の数ケ所にM及び【rum】という文字がブラインド・プリンティング(空印刷)されている。旧蔵者としてKeysserという名が見られる。原コレクション。
『ラテン語聖書』
Bible.
[Biblia latina.]
Venetijs: Frãciscũ de Hailbrun et Nicolaũ de
Frankfordia, 1475. 1 v. f° 【WA42-11】
『グーテンベルク聖書』(1455年頃)を初めとして15世紀に聖書は174点刊行されたが、本書はイタリアで刊行された最初の『ラテン語聖書』。印刷者フランシスコ・レンナーとフランクフォルディアのニコラウスは翌年(1476)にもこれを再版した(イタリアで刊行された最初の『聖書』(1471)はイタリア語訳)。紙には数種のウォーター・マーク(透かし模様)が見られ、旧蔵者としてW. Pfyster, F. Stangl, S. Mattseeという名が見られる。
アルド・マヌツィオ編『新訂増補イソクラテス集』
Manuzio, Aldo Pio, ca.1450-1515, ed.
Isocrates nvper accvrate recognitvs, et
avctvs. Isocrates. Alkidamas. Gorgias. Aristeidēs. Harpokratiōn.
Venetiis: In aedibus
haeredum A. Manutii, & A. Asulani, 1534. 1 v. f° 【WA42-7】
イソクラテスをはじめとするギリシャの修辞家たちの作品を集めたもの。アルド印刷所はアルドの死後、義父でアゾラ出身のアンドレア・トレサーニとその息子のジアン・フランチェスコ、フェデリコに引き継がれるが、1528年にそのトレサーニも死ぬと活動を中断してしまう。そこへパドヴァでの学業を終えてヴェネツィアに帰ってきたアルドの末子パウルスの強い希望で1533年に印刷所が再開されることになる。本書はアルドが1513年に刊行した『ギリシア修辞家文集』の第3巻だけを彼らが再刊したものである。
ユウェナリス、ペルシウス『諷刺詩』
Juvenalis, Decimus Junius,ca.50-ca.130.
Ivnii Ivvenalis, et A. Persii
satyrae.
Lvgdvni: S. Gryphivm, 1547. 1 v. 16° 【WA42-32】
二人はともに有名なローマの諷刺詩人。本書を刊行したグリフィウス(1493-1556)は、ヴェネツィアで印刷術の腕を磨いたあとリヨンに出て印刷業を始めた。最初は司法関係の書物をゴシック体活字で印刷していたが、次いでイタリック体活字とローマン体活字を買い入れて、アルドの八折り版をまねたラテン語の古典的作品を小型本で出すことを専門とした。彼はまた、ラブレーをはじめとするユマニストたちとも親交があり、彼らの出版も手がけている。彼のプリンターズ・マークには勤勉を象徴する怪物グリフォンが描かれている。原コレクション。
リウィウス『ローマ史』
Livius, Titus, ca.B.C.59-A.D.17.
T. Livii Patavini historici clarissimi, qvæ
manifesto extant, librorum decades ...
[Paris]: Venundantur ipsi Ascensio, & I. Roigny,
1533. 1 v. f° 【WA42-69】
リウィウスは有名なローマの歴史家。本書を出版したアスケンシウス(1462-1535)はリヨンの印刷業者ヨハン・トレヒゼルのもとで印刷業に携わったのち、パリに出て印刷所を開いた。自身ラテン学者でもあった彼は、初学者向けに古代ローマの著作家の作品を彼自身の序文(解説)と注釈をつけて出版した。共同出版者になっているロワニーは女婿で、アスケンシウスの死後その印刷所を継いだ。ちなみにアスケンシウスの別の娘は有名なロベール・エチエンヌに嫁いでいる。パリでローマン体を広めたのは、アスケンシウスとこのエチエンヌである。アスケンシウスのプリンターズ・マークには彼の印刷工房が描かれている。原コレクション。
ベラルミーノ『ヘブライ語教本』
Bellarmino, Roberto Francesco Romolo, Saint, 1542-1621.
Institvtiones lingvæ
Hebraicæ ...
Antverpiae: Ex officina Plantiniana, Apud vid. & I. Moretum, 1596. 1 v.
8° 【WA42-56】
ベラルミーノはイタリアのカトリック神学者でイエズス会士。プロテスタンティズムに対抗し、カトリック教会の擁護に尽した。本書は、プランタンの死後印刷業の仕事を受け継いだ女婿のヨハネス・モレトゥス(1543-1610)によって出版されたもので、標題紙にイエズス会のマークが入っている。モレトゥスの代になるとユマニストの著作はあまり出版されなくなり、それに代わって祈祷書やイエズス会士による宗教関係書が多数出版された。原コレクション。
『イソップ寓話集』
Aesop, ca. B.C.620-564?
Les fables d'Esope phrygien : traduction nouvelle ...
par I. Bavdoin.
Roven: I. & D. Berthelin, 1670. 1 v. 8° 【WB29-47】
イソップはギリシャの寓話作者。イソップ本は印刷術が発明されてから1500年までの半世紀に146種もの刊本が、英語をはじめフランス語、ドイツ語、イタリア語、ギリシャ語等で刊行されている。本書はジャン・ボードワン(1590-1650)による仏訳で、イソップの伝記と118篇の寓話を収録している。各篇にボードワン自身の道徳的考察が添えられているのがこの本の特徴である。初版はパリのA.クルベによって1649年に刊行され、17世紀のうちに何度か版を重ねた。ラ・フォンテーヌも彼自身の『寓話』(1668)を書くに当たってボードワン訳を参考にしている。原コレクション。
『チョーサー著作集』
Chaucer, Geoffrey, ca.1340-1400.
The works of Geoffrey Chaucer, now newly
imprinted.
Hammersmith: Kelmscott Press, 1896. 1 v. f° 【WB41-41】
本書はウィリアム・モリス(1834-96)が1891年にロンドン西郊のハマースミスに開設したケルムスコット・プレスの刊行書のひとつで、なかでも最高傑作といわれるものである。標題紙と飾り縁や装飾文字はモリスの考案によるもので、87点の挿し絵はエドワード・バーン=ジョーンズ(1833-98)が担当した。
モリスはまず、ニコラ・ジャンソン(ca.1420-80)のローマン体活字にヒントを得てゴールデン・タイプ(ローマン体)といわれる活字を作ったが、やがてゴシック体活字の必要を感じるようになり、トロイ・タイプ(準ゴシック体)を考案、そしてそのトロイ・タイプをやや小さくしたのが本書で使われているチョーサー・タイプである。
『欽定訳聖書』
Bible.
The English Bible, containing the Old Testament & the New, translated
out of the original tongues by special command of His Majesty King James the First
...
Hammersmith: Doves Press, 1903-05. 5 v. 4° 【WB41-68】
ジェームズ1世の命により1611年に刊行されたこの『欽定訳聖書』は19世紀末に至るまで英国国教会で用いられた唯一の英訳聖書であったばかりでなく、現在でもその素朴で崇高な文体故に広く国民の書として親しまれている。T.J.コブデン=サンダーソン(1840-1922)が1900年にハマースミスに開設したダブズ・プレスの刊行書はジャンソンのローマン体をもとにした「ダブ」体活字で印刷されており、ケルムスコット本に見られるような飾りを一切使用していない点にその特徴がある。その代表作であるこの『欽定訳聖書』は美しさの点でケルムスコットの『チョーサー著作集』に匹敵する。