洋書の部
第3章 科学革命の浸透
今日の科学技術文明の土台には、ルネサンス以後始まった「科学革命」という大きな世界認識の変化がありました。しかし、それは突然に起ったわけではありません。インキュナブラの時代に印刷された科学書は古代・中世(含イスラム)から引き継がれた天文・数学・医学・技術書が中心で、その中には暦や占星術書、錬金術書、本草書も含まれていました。こうした科学書が非常に多数出版されるようになると、それらの内容の首尾一貫しない点が強く意識されるようになります。この中から実験や観察に重点をおく人々が市井に登場してきました。彼らは個人で天文台を設け、あるいは実験を行い、その結果を書簡や印刷物により素早く伝達した。彼らの活動舞台は学会が中心となり、定期刊行物も発行されるようになりました。
ヘヴェリウス『月面学』
Hevelius, Johannes, 1611-1687.
Selenographia.
Gedani: Autoris sumtibus,
typis Hünefeldianis, 1647. 1 v. f° 【WA44-7】
ヘヴェリウスは、ダンツィヒ(現ポーランドのグダニスク)の醸造商人で天文学者。日によって異なる月の位相を細かに記録し、月の詳細な地図を作成、地名を付けるなど、本書によってその後の月の地形学研究の基礎を築いた。技術者としても優れていた彼は、観測機器を自作、自邸に天文台を作り、研究に没頭した。挿図の銅版(エングレーヴィング)は、全て彼自身が彫版したもので、特に月面地図については18世紀に至るまで引用され、後の月面地図の模範となった。
ゲーリケ『真空に関するマグデブルクでの新実験』
Guericke, Otto von, 1602-1686.
Experimenta nova (ut vocantur) Magdeburgica de
vacuo spatio.
Amstelodami: J. Janssonium à Waesberge, 1672. 1 v. f° 【WA42-15】
ドイツのマグデブルク市長であったゲーリケは、当時の最先端技術であった空気ポンプに関する実験を行い、その発展・改良に大きな役割を果たした。本書はそれらの実験の記録を後年まとめたもので、特に1657年に行われた「マグデブルクの半球」と呼ばれる実験は有名である。この実験は、二つの銅製半球をあわせて球を作りポンプで中の空気を吸い出すと、両側から数十頭の馬で引かせても引き離すことはできないことを示したもので、ボイルやホイヘンスによる空気ポンプ研究に大きな影響を与えた。
ニュートン『自然哲学の数学的原理』
Newton, Sir Isaac, 1642-1727.
Philosophiæ naturalis principia
mathematica.
Londini: Jussu Societatis Regiae ac typis J. Streater, 1687. 1 v.
8° 【クラーク旧蔵:WB29-32
高橋精之旧蔵:WB29-62】
ニュートン力学の出発点となった、近代科学史の記念碑的な一冊。出版に当たっては彗星にその名を残すハレーが、財政的に破綻をきたしていた王立協会に代わって資金を提供し、編集も行った。初版にはタイトルページに販売者名の入っているものとないものがあるが、当館が所蔵する2点は共に販売者名のないものである。エジソンの会社の主任技師であったチャールズ・L・クラーク(1853-1941)の旧蔵本は破れて欠損した部分が2ヵ所ある。クラークはハンチントン図書館に問い合わせ、その部分の内容を手書きの付箋で補っている。もう1点は高橋精之旧蔵。クラーク旧蔵本は葉E3rのキャッチワードが誤って「ve」となっているが、高橋旧蔵本では「vel」と正しく直されている。
『ブリタニカ百科事典』
Encyclopædia Britannica.
Edinburgh: A. Bell and C. Macfarquhar, 1771. 3 v.
4° 【WB29-19】
銅版画家のベルと印刷者マックファーカーが発行した百科事典。フランスで議論を巻き起こしていたディドロとダランベールの『百科全書』の影響を受けて1768年から71年にかけて、各冊6ペンス(上質紙版は8ペンス)の週刊形式で分冊刊行され、完結後の1771年に3巻本として新たにまとめられた。展示本はその3巻本である。大部分の項目は数行程度であるが、科学技術関連の項目については「力学」や「解剖学」のように、数十から百ページ以上が割かれているものもある。第2版(1777-84)以降、編集・発行主体を変えながら版を重ねている。さらに現在は10万件以上の項目を検索できるBritannica Online としてインターネットの世界にも展開されている。
グールド『オーストラリア鳥類概説』
Gould, John, 1804-1881.
A synopsis of the birds of Australia, and the adjacent
islands.
London: J. Gould, 1837-38. 4 pts. in 1 v. 8° 【WB29-21】
代表作の一つといわれる『オーストラリア鳥類図譜』(1840-48)に先立ってグールドが自費出版したもので、オーストラリアで発見された新種の鳥を記載し、その頭部だけを描いた石版手彩色による図版を収録する。イギリスの鳥類学者グールドは、妻のエリザベスらと共同で製作した豪華な鳥類図譜を数多く出版し、その図版は博物学図版の最高傑作とも称される。本書では、残念ながら、鳥の日常的な姿の描写など、グールドの鳥類図譜本来の魅力を見ることはできないが、その手彩色石版画の美しさの一端を垣間見ることはできるだろう。
ソールズベリ『ロンドンの楽園』
Salisbury, Richard Anthony, 1761-1829.
The paradisus Londinensis. The figures
by William Hooker.
London: W. Hooker, 1805-08. 2 v. 4° 【WB32-2(21)】
ロンドン近郊の植物を描いた植物図譜。図を担当したフッカー(1779-1832)はイギリスの代表的植物画家フランシス・バウアー(1758-1840)の弟子で、ロンドン園芸協会のお抱え画家となったため、本書は117枚で中断した。記述はロンドン園芸協会幹事を勤めた植物学者ソールズベリが担当している。展示本は未製本のまま保存されており、頒布時の状態をよく残している。各分冊は毎月刊行され、3枚の手彩色銅版画(石版もあり)を収録、3シリングで販売されていた。博物図譜の頒布は通例このような方法で行われ、完結後、購入者が好みの製本を施した。
ルドゥーテ『美花選』
Redouté, Pierre Joseph, 1759-1840.
Choix des plus belles fleurs.
Paris: C.
L. F. Panckoucke, 1827[-33]. 1 v. f° 【WB32-1(45)】
19世紀フランスを代表する植物図譜。ルドゥーテはベルギーに生まれフランスで活躍した植物画家で、ナポレオン妃ジョゼフィーヌの寵を受け、スティップル彫版を駆使した彩色銅版画(一部手彩色)を用いて、植物図譜の最高傑作とも呼ばれる『ユリ譜』(Les liliacées. 1802-16)や、『バラ譜』(Les roses. 1817-21)の図版を製作した。それらの図譜が専門家向けだったのに対し、本書はより一般的な読者を想定して製作されたもので、植物学的な観点からは批判もあるが、一方でルドゥーテの画家としての魅力を最も良く示すとの評価もある。
ローゼンバーグ『アマリリスの花』
Rosenberg, Miss Mary Elizabeth, 1819-1914.
Corona Amaryllidacea.
Bath: C.A.
Bartlett, [1839]. 1 v. f° 【WB32-2(47)】
ヒガンバナ科のアマリリスを描いた植物図譜。図版は印刷ではなく、全て自筆の水彩画である。予約者のみに頒布され、世界に20冊程度しか存在しないといわれる。本来は献辞・序文が5ページ、解説・図版が各8枚の構成だが、展示本は図版と解説のそれぞれ2枚ずつを欠く。ローゼンバーグはイギリスの芸術家一家に生まれた女性植物画家で、後にMrs William Duffieldの名で植物画の技法書The art of flower paintingを1856年に出版し、多くの版(少なくとも20版以上)を重ねた。
メーリアン『スリナム産昆虫変態図譜』
Merian, Maria Sibylla, 1647-1717.
Dissertatio de generatione et metamorphosibus
insectorum Surinamensium.
Amstelædami: J. Oosterwyk, 1719. 1 v. f° 【WB32-1(61)】
南米北部スリナムの昆虫と、その餌になる植物を描いた手彩色銅版画図譜。蝶や蛾を中心とした昆虫の幼虫・蛹・成虫の三段階を植物と同一画面上に描いた点に特徴がある。メーリアンはスイス人を父、オランダ人を母としてドイツで生まれ、オランダで活躍した女性昆虫・植物画家。1698年にスリナムへ渡り、昆虫や植物を研究した。帰国後その成果を60枚の図にまとめて出版(1705年)。さらに図を12枚追加したものが本書である。1726年には仏訳も出版された。