白瀬矗 | ロアール・アムンセン | ロバート・スコット | ||
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1800年代 | 1861.7 出生(秋田県にかほ市) (父は浄土真宗浄蓮寺住職) |
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1868.6 出生(英国・デボンポート) (軍人家系だが父は醸造会社勤め) |
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1872.7 出生(ノルウェー・ボルゲー) (父は海運業) |
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1879 日比谷・陸軍教導団騎兵科に入団 | ||||
1881 陸軍仙台鎮台に赴任 | 1881 海軍に入隊(13歳で入隊とある) | |||
1887 高等学校入学、冒険家を志望 | ||||
1890 オスロー大学医学科入学 | ||||
1892 予備役に編入される | ||||
1893 千島探検に参加 | 1893 大学退学、船員となる | |||
1895 千島・占守島から帰還 | ||||
1897 ベルギーの探検船員として南氷洋へ | 1897 海軍大尉に昇進 | |||
1899 宮城県に奉職 | 1899 帰国 オスロー大学入学、物理学等を履修 |
1899 南極探検を薦められる | ||
1900年代 | 1900 船長免許取得 | |||
1901 海軍中佐に昇進 ディスカバリー号で南極へ出発 |
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1902 北海道に奉職 | ||||
1903 ユア号にて北西航路開拓へ出発 | 1903 南緯82度16分まで到達 | |||
1904 日露戦争に従軍 | 1904 帰国、海軍大佐に昇進 | |||
1905 北氷洋で越年 | 1905 ヴィクトリアル号艦長になる | |||
1906 帰還、東京市に奉職 | 1906 北西航路突破に成功 | |||
1908 北極探検計画を発表 | ||||
1909 | 4月 北極点にアメリカの探検家ロバート・エドウィン・ピアリーが到達(諸説有) | |||
9月 ピアリー北極点到達の記事を見る 南極行きを決断、東京市を退職 |
北極探検計画を変更(発表せず) | 9月 南極探検計画を発表 | ||
1910 | 3月 南極探検費用に関する請願を呈出、貴族院で採択される | |||
6月 テラ・ノヴァ号で英国を出発 | ||||
7月 南極探検発表演説会を開催、後援会発足 | ||||
8月 フラム号でノルウェーを出発 | ||||
9月 南極探検計画を発表 | ||||
11月 開南丸で日本(品川湾芝浦埋立地)を出発 | ||||
1911 | 1月 南極大陸に到達、越冬開始 | |||
3月 ロス海コールマン島沖(南緯74度16分)で引き返す | ||||
5月 オーストラリア・シドニー入港 | ||||
10月 ベースキャンプから南極点へ出発 | ||||
11月 シドニー出港 | 11月 ベースキャンプから南極点へ出発 | |||
12月14日 南極点到達 | ||||
1912 | 1月 ホエールズ湾到達 1月28日 突進隊、南緯80度5分に到達、「大和雪原」命名 |
1月 帰途に就く | 1月17日 南極点到達 | |
2月 ホエールズ湾を出発、帰途に就く | ||||
3月 悪天候のため南極大陸で死亡(44歳) | ||||
5月16日 横浜港に帰着 | ||||
6月20日 ※開南丸が品川湾芝浦埋立地に帰着 | ||||
1914 海運業に従事 | ||||
1918 北氷洋へ出発 | ||||
1920 北東航路を突破 | ||||
1921 農商務省嘱託として千島へ赴任 | ||||
1924 千島から帰還 | ||||
1926 飛行船で北極横断飛行に成功 | ||||
1927 アムンセンと会見 | 1927 来日 | |||
1928.6 遭難者捜索のため北極へ出発 行方不明となる(56歳) |
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1933 日本極地研究会創立 | ||||
1940 文化功労者として表彰される | ||||
1946.9 死去(85歳) |
隊の名前 | 白瀬隊 | アムンセン隊 | スコット隊 |
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国 | 日本 | ノルウェー | 英国 |
船の名前 | 開南丸 | フラム号 (Fram) |
テラ・ノヴァ号 (Terra Nova ) |
船の総トン数 | 204トン | 402トン | 764トン |
主な目的 | 南極点到達・学術調査 | 南極点到達 | 南極点到達・学術調査 |
総隊員数 | 27名 | 19名 | 65名 |
ベースキャンプから南極点へと向かった隊員数・主な動物数 | 隊員5名、犬23頭(26頭とも) ※犬の頭数については諸説有 |
隊員5名、犬52頭 | 隊員12名、馬10頭 最終的に南極点へ向かったのは5名。残りは途中で引き戻した ※ほかに、2台の発動機ソリが先行 ※犬ゾリ(犬23頭)を補助的に使用し、氷河の入り口でベースキャンプに帰した |
ベースキャンプ帰還時の隊員数・主な動物数 | 隊員5名、犬23頭(26頭とも) ※南極大陸離脱時に収容した犬は6頭 |
隊員5名、犬11頭 | 隊員7名、馬0頭 ※発動機ソリは途中で故障 ※南極点へ向かった隊長スコットを含む5名が全滅 |
到達点 | 南緯80度5分 | 南極点 | 南極点 |
主な支援の状況(注) |
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備考 |
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主な参考書 | 白瀬矗著『南極探検』博文館,大正2(1913) 【297.9-Sh85ウ】 | ロアルド・アムンゼン著(谷口善也訳)『南極点征服』中央公論新社,2002【GJ151-H1】 | 土屋光司著『南極の探検王アムンゼンとスコット』潮文閣,昭和18(1943)【297.9-Ts32ウ】 |
(注)
「明治以降本邦主要経済統計」より、明治43年のポンド相場は1円=約2シリング=0.1ポンド
「日本帝国国勢一斑. 第28回」より、明治43年のクローネ相場はおよそ1円=0.5クローネ(1クローネ=53銭8厘)
なお、1円=100銭=1000厘。
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隊員一覧・参考文献