第2章 品種いろいろ

一口に桜と言っても様々な種類があります。バラ科サクラ属に分類される桜には、現在では300種以上の品種があり、江戸時代においても多数の品種が見られました。この章では、桜の品種に焦点を当て、園芸書や画譜により、バラエティに富んだ桜の姿をご覧いただきます。

多種の桜が植えられた江戸

現在、目にする桜の多くはソメイヨシノです。日本にある桜の7~8割がソメイヨシノであるとも言われています。しかし、人々の目に触れるのがほぼ一種類の桜であるという状況が生まれたのは、そう古い時代のことではありません。というのは、ソメイヨシノが誕生したのは江戸時代後期、全国に広まったのは明治以降のことだからです。
江戸時代の桜事情は、現代のものとは少し異なっていました。江戸時代には、多様な品種の桜が各所に植えられていました。花の咲く時期も品種ごとに異なり、時期をずらしながら咲く様々な桜を楽しむことができたと言います。ソメイヨシノの場合、花見の季節はとても慌ただしく過ぎていきますが、江戸時代には、花見の季節は1ヶ月ほど続きました。花の色も、咲く時期も、それぞれ異なる桜が、江戸の人々の目を楽しませていたのです。
ここでは、各種の桜の開花時期を取り上げた資料や、一箇所に複数の桜が植えられていたことがわかる資料をご紹介します。

花譜 3巻

3巻のうち、中巻・下巻で12ヶ月に分けて花の咲く植物を解説しています。二月で「小桜」「垂糸桜」「桜」を取り上げており、以下はその部分の画像です。また、「桜」の後半部分では、様々な種類の桜の特徴や開花時期、名所等を記載しています。

花譜 3巻

小桜
春分の頃ひらく。俗に彼岸桜といふ。是桜の別種なり。木も桜に似たり。

垂糸桜
ひがん桜より花やゝおそし。是ひがんさくらのしだれたるにて一類なり。故にひかんさくらの台につぎてよし。たゞの桜の台につげば長せす枯やすし。湿地にはあしゝ。めぐりに木なきがよし。根下の草をさるへし。此樹庭中にさきて扶疎たるはいと愛玩すへし。


ひとへ桜春分の後花をひらく。彼岸桜より十日はかり遅し。又八重桜にさきたつ事十日斗なり。花のときは所によりて遅速あり。(中略)桜の種類はなはたおほくしてことごとくあげかたし。うば桜はなさく事いとはやし。葉なくして花咲く故に名つく。ひかん桜に似てうす紅白なり。次にひかん桜。次にいと桜。またくまがへ桜はやし。次にひとへ桜。品類数種あり。

江戸遊覧花暦 4巻

『江戸名所花暦』とも言われる資料です(名所紹介としての「花暦」については第3章参照)。以下に取り上げた上野東叡山の箇所では、種々の桜が植えられており、それが順々に咲いて、旧暦3月末まで花が絶えることがないと記されています。また、「彼岸」「三吉野」「水上」「簱桜」「山桜」「楊貴妣」「都」「浅黄」「虎ノ尾」「犬桜」といった10種類の桜の挿絵が付されています。

江戸遊覧花暦 4巻

江戸遊覧花暦 4巻

東叡山 上野 一山のさくら種々ありて開花の遅速ありといへともみな是に挙る 当山は東都第一の花の名所にして彼岸桜より咲出て一重八重追々に咲つゝき弥生の末まて花のたゆることなし

南畝花見の記

大田南畝が寛政4(1792)年に行った花見の記録です。南畝は、閏2月9日~23日までの間に、友人と連れ立って8回も花見に出かけました。赴いた場所に植えられていた桜の品種や開花の状況などが記されています。以下にあげた図は品川来福寺の境内に植えられていた桜の見取り図です。

南畝花見の記

園芸書・図譜のなかの桜

江戸時代の人々が目にした桜は、どのような姿で、どのような名前のものだったのでしょうか。江戸時代には多くの園芸書が出版されています。そうした園芸書で桜が取り上げられたり、桜の図譜が出版されたりしました。そこでは数多くの品種名があげられており、現在では見られないものもあります。図譜では、桜の姿を詳細にスケッチしたものも見られます。江戸時代の人々の桜への並々ならぬ関心がうかがわれます。
ここでは、桜の品種を多数取り上げている資料や桜の図譜をご紹介します。

草木写生春秋之巻

草木写生春秋之巻

「春上・春下・秋上・秋下」の4巻から成り、園芸植物を中心に取り上げた図譜です。そのうちに桜の絵も含まれます。以下の絵では「姥桜」「山桜」「毬花桜」がスケッチされ、「寛文五(1665)年三月四日濃州於加納写生」と、写生年月日・写生地が記されています。

花壇綱目 3巻

花壇綱目 3巻

日本で最初の総合園芸書です。花壇に植える草花について春夏秋冬雑に分けて短く解説し、また、牡丹・芍薬・菊・椿・梅・桃・桜・ツツジの品種を列記しています。掲載画像の桜を取り上げた部分には、絵はありませんが、「桜珍花異名の事」として40品種の名があげられています。

怡顔齋櫻品

怡顔齋櫻品

怡顔齋櫻品

桜のみを対象とした図説で、69品種をあげています。各品種の解説とともに、必要に応じて図が付されています。所在地や見頃をあげることもあります。以下は、目次の部分と、一番はじめに取り上げられている「彼岸桜」の冒頭部分です。

梅園草木花譜 春之部巻1-4

梅園草木花譜 春之部巻1-4

『梅園草木花譜』(文政8(1825)年序)は毛利梅園の画譜中最大の規模で、江戸時代屈指の植物図譜の一つです。「春・夏・秋・冬」に分けられています。「春之部」には、桜も複数の品種が載せられており、掲載画像はその一部分です。

桜花譜

桜花譜

桜花譜

坂本浩然は桜の写生画で知られた人物です。29種の桜が写生的に描かれています。掲載画像にある緑の葉の桜は「桐ケ谷ツ」、赤みのある花弁の桜は「爪紅」という品種です。

櫻花譜

櫻花譜

櫻花譜

作者や年代は不明ですが、12種の桜が詳細に描かれています。描かれているのは、「左近桜」「玉桜」「森之雪」「薄墨桜」「吉野山桜」「嵐山」「浅黄桜」「紅延命桜」「大菊桜」「常盤桜」「桐ヶ谷」「普賢象」です。掲載画像は後半部分です。

さくらづくし

さくらづくし

さくらづくし

こちらの資料も作者や年代は不明ですが、多種の桜のスケッチです。

江戸の植木屋と桜

江戸時代後期は園芸ブームと言ってよいほど、園芸が盛んでした。そのなかで大きな役割を担ったのが植木屋です。桜の品種改良は古くから行われており、江戸時代にも多くの品種が生み出されました。また、珍しい品種を求めて、各地に採集に行くこともありました。
桜と聞いて多くの方が思い浮かべるソメイヨシノも、江戸時代後期に新しく生まれた品種です。ソメイヨシノの誕生には諸説ありますが、江戸末期に江戸の染井(現在の東京都豊島区駒込~巣鴨のあたり)の植木屋から売り出されたと言われています。
また、ソメイヨシノが「ソメイヨシノ」と命名されたのは明治になってからのこと。それ以前には「吉野」や「吉野桜」と呼ばれていたようです。ただし、江戸時代後期の資料に記されている「吉野」がすべてソメイヨシノかというと、そうではありません。「吉野桜」という品種はまた別にありました。「吉野」と呼ばれていた複数の種類の桜の中にソメイヨシノが含まれていた、というのが正確なところでしょう。

増補地錦抄

江戸で最も有名な植木屋、染井の伊藤伊兵衛三之丞・政武父子。彼らによる園芸書の『地錦抄』(じきんしょう)シリーズには、桜も数多く取り上げられています。当館所蔵資料はおそらく享保18(1733)年に刊行されたものです。以下は、桜の品種や特徴について書かれている部分で、一番はじめには「吉野」が取り上げられています。

増補地錦抄

○桜のるひ 木春中末

桜はふさくゝり花茎長くさがりて咲をよしとす 尤うるわしき色ありて

吉野
中りんひとへ 山桜共いふ 吉野より出るたねは花多く咲て見事也
古今序に春のあしたよしの山のさくらは人丸が心には雲かとのみなんおほへける

草木奇品家雅見 3巻

この資料は斑入植物など珍しい植物を取り上げた園芸書です。著者の金太は江戸・青山の植木屋です。巻3には、桜の番付が1枚含まれており、東の大関には「泰山府君」、西の大関には「桐ケ谷」があげられています。

草木奇品家雅見 3巻

西ノ方
大関 桐ヶ谷
関脇 地主桜
小結 暁月桜
前頭 白鵯
前頭 吉野山
前頭 千弁糸桜
前頭 普賢象
東ノ方
大関 泰山府君
関脇 法輪寺
小結 白舞桜
前頭 御車還
前頭 嵐山
前頭 爪紅粉
前頭 小塩山

コラム「ソメイヨシノ」の名付け親

「ソメイヨシノ」と名付けたのは、東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)の藤野寄命です。藤野が上野公園の桜を調査したところ、ヤマザクラとは異なる桜があることがわかり、その桜を「ソメイヨシノ(染井吉野)」と名付けました。その後、明治33(1900)年に『日本園芸会雑誌』に論文として発表しています(注1)。また、翌明治34(1901)年には、東京帝国大学(現在の東京大学)の松村任三により、学名を「Prunus yedoensis」と命名されています(注2)。
その後、殖やしやすさや育てやすさ、花が咲き終わってから葉が出てくるという性質、いっせいに咲いていっせいに散っていくという特徴などが好まれ、日本各地に植えられていきました。

注1: 上野公園桜花ノ種類 / 藤野寄命(p.1~9)(日本園藝會雑誌. 第92號 / 日本園藝會 [編] 東京 : 日本園藝會, 1900.1 【特7-276】)
注2: J. Cerasi Japanicae duae Species novae. / Matsumura(植物学雑誌 15(174) 1901.8 p.99~101 【Z18-65】)

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