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錦絵と写真でめぐる日本の名所

上野

東京都 台東区

上野公園

武蔵野台地の東端にあたる上野の山と、低地の不忍池にまたがる公園。江戸時代は寛永寺の境内であったが、1873年(明治6)宮内省管理の公園となり、1924年(大正13)昭和天皇御成婚記念に東京市に下賜され、上野恩賜公園と命名された。1882(明治15)年に日本最初の動物園である上野動物園が開園して以降、多くの博物館や美術館といった文化施設が集まっている。

錦絵・絵画等

世事画報 2(7)

上野花景 尾竹国観

清親畫帖 [1]

[上野公園画家写生図]

清親畫帖 [1]

上野東照宮積雪之圖

清親畫帖 [1]

上野公園内之景

清親畫帖 [2]

上野六角茶屋

清親畫帖 [3]

第二回内國勧業博覧會内五角堂

清親畫帖 [3]

第二回内國勧業博覧會内美術館噴水

[上野公園の図]

上野公園の図

東京名所 [3]

上野新坂

東京名所 [4]

上野東照宮

写真

東京景色写真版

上野公園しだれ桜

東京景色写真版

上野公園入口

東京景色写真版

上野公園清水堂

東京景色写真版

上野公園東照宮鳥井

東京景色写真版

上野公園内勧工場

東京景色写真版

上野公園西洋軒之庭

東京景色写真版

上野公園内西洋軒

東京景色写真版

上野公園西洋軒之庭

日本百景 上 2版

東京上野公園内五重塔

日本名所帖

東京上野の桜花

不忍池

現在の上野公園の西南部にある池。かつて東京湾の入江であったが、平安時代ごろ入江が後退した際に取り残されて池となったとされる。寛永寺創建の際、寺の山号を比叡山にならって東叡山としたことにちなみ、この池を琵琶湖に見立てて、竹生島(ちくぶじま)になぞらえた中島を築造し弁天堂を創設した。名前は、忍岡(しのぶがおか)に由来するという説や、篠が生い茂って輪のようであった(篠輪津)という説など、諸説ある。特に夏季は美しい眺めで、文人たちにより小西湖(しょうせいこ)と唱えられた。蓮の名所で、茶屋では蓮飯を食べさせた。

錦絵・絵画等

池の端

池の端

〔江戸高名会亭尽〕 〔池之端〕

[池之端]

名所江戸百景 上野山内月のまつ

上野山内月のまつ

東都名所 上野山王山 清水観音堂花見 不忍之池全図 中島弁財天社

上野山王山・清水観音堂花見・不忍之池全図 中島弁財天社

江戸不忍弁天ヨリ東叡山ヲ見ル図

江戸不忍弁天ヨリ東叡山ヲ見ル図

江戸八景 不忍池の落鳫

江戸八景 不忍池の落鳫

〔江都名所〕

[江都名所] [上野不]忍の池

東都名所 不忍之池

不忍之池

東都花暦 不忍蓮

不忍蓮

江戸名勝図会 不忍弁天

不忍弁天

写真

東京景色写真版

上野公園不忍池弁天ノ石橋

東京景色写真版

上野公園不忍池長酔亭

東京景色写真版

上野不忍池競馬場

旅の家つと 第29 都の巻

上野不忍池

日本之勝観

不忍池

最新東京名所写真帖

不忍の池

東京風景

不忍池畔雪景

東京風景

不忍池畔

その他の資料

寛永寺

天台宗の寺。寛永2(1625)年開創。創建年号にちなみ寛永寺と号された。山号は東叡山(東の比叡山の意味)、院号は円頓院(えんどんいん)。日光山に東照宮を営んでいた僧天海(てんかい)が、幕府より江戸忍岡の地を与えられ、寺院を建立し武蔵国川越の東叡山喜多院から東叡山の名を移した。その後、徳川家康を祭神とする東照宮、京都清水寺の観音堂を模した清水観音堂などが建立され、幕府の保護のもとに隆盛を極めた。一帯は物見遊山の場としても栄え、桜の名所でもあった。これは、桜を好んだ天海が吉野より桜を移植したことに始まる。慶應4(1868)年、彰義隊と官軍との戦場となり、伽藍の大部分が灰燼に帰した。現在、この一帯は上野公園となっている。

錦絵・絵画等

上野

上野

江戸名所発句合之内 上野

上野

東都花暦 上野清水之桜

上野清水之桜

名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池

上野清水堂不忍ノ池

江戸名所 上野東叡山境内

上野東叡山境内

東都名所 上野東叡山全図

上野東叡山全図

東都名所 上野東叡山ノ図

上野東叡山ノ図

江戸名所上野仁王門之図

上野仁王門之図

上野の桜かり

上野の桜かり

江戸八景 上野の晩鐘

上野の晩鐘

その他の資料

上野広小路

現在の上野公園(旧寛永寺)周辺。広小路は、現在の上野公園入口から松坂屋に至る一帯。明暦の大火(明暦3(1657)年)ののち、道幅を広げて火除け地となった。歴代将軍が寛永寺参拝に利用した御成道(おなりみち)で、沿道に食料品店、料理店などが並ぶ繁華街であった。現在の中央通りと不忍通りの交差点には、忍川(しのぶがわ)が流れており、三つの橋が並んでかけられていたことから三橋(みはし)と呼ばれた。松坂屋、三橋は錦絵にも描かれた。山下は、東叡山の下の意味。現在のJR上野駅構内と駅前広場にあたる。元文2(1737)年の火災ののち火除け地となり、町屋は開かれず、商店や見世物小屋が立ち並ぶ歓楽街となった。

錦絵・絵画等

[上野三枚橋之図]

[上野三枚橋之図]

名所江戸百景 上野山した

上野山した

〔江戸高名会亭尽〕 〔下谷広小路〕

[下谷広小路]

下谷広小路

下谷広小路

名所江戸百景 下谷広小路

下谷広小路

東京名所 [6]

上野三橋

東京風景

東京風景 上野廣小路

写真

東京景色写真版

上野三枚橋遠景

日本之名勝

上野広小路

東京風景

上野広小路

その他の資料

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