日本赤十字社の創立に関わった人々

日本赤十字社の前身は、明治10(1877)年の西南戦争の折、佐野常民と大給恒により設立された博愛社です。佐野は慶応3(1867)年のパリ万博、明治6(1873)年のウィーン万博で赤十字の展示を見学し、戦時救護活動等の事業に感銘を受けたそうです。

明治10年3月に博愛社設立を願い出ますが、政府には博愛社の社則(第4条)にある、「敵味方の別なく救護する」という精神が理解されませんでした。佐野は、征討総督の有栖川宮熾仁親王へ取次ぎを通じて趣意書を提出し、5月1日に活動の許可を得ることができました。この時、佐野の趣旨に賛同して取次ぎをしたのは、山県有朋と小沢武雄でした。

このようにして設立した博愛社でしたが、当初より政府から独立した組織であったため、その財政を支えるのは博愛社の社員や、政治家、文化人、実業家たちからの寄付でした。博愛社設立当初の社員は、佐野や大給、石丸安世をはじめ38人でした。また財政を支えた実業家として渋沢栄一がいます。渋沢は明治13年には社員となりました。

明治19年、日本はジュネーブ条約に加入します。これにより20年に博愛社は名称を日本赤十字社と改称しました。

最後に、明治から大正にかけての博愛社及び日本赤十字社の社長4名をご紹介しましょう。

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