文学者。東京大学卒業後、東京専門学校(後の早稲田大学)の講師、のち教授となる。日本最初の近代的文学論『小説真髄』(1885~1886)とその実践となる小説『当世書生気質』(1885~1886)を著し文壇の中心的存在となった。森鴎外との「没理想論争」は有名。のち演劇改良運動(新劇)を弟子島村抱月らとともにはじめ俳優養成にも尽力。一方で教育家として倫理教育にも業績がある。昭和3(1928)年にはシェークスピア全集の訳業を完成させた。
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