父は右大臣徳大寺公純(きんいと)。首相を務めた西園寺公望を兄にもつ。明治25(1892)年に学習院法律撰科を中退し、住友登久の養嗣子となる。翌26年に住友家15代当主となり吉左衛門を襲名。28年住友銀行の創設など、各種事業を拡大し、45年住友銀行社長。大正10(1921)年には住友合資会社を設立し、その社長に就任する。住友財閥の発展に寄与したが、自ら経営に関わるというよりは、象徴に徹した。中国古銅器の収集家としても有名。明治30(1897)年から3年間貴族院議員。44年男爵。