法律学者。父は高知藩士。戊辰戦争に従軍。明治5(1872)年米英に留学し、帰国後の7年に結社「共存同衆」を結成し、啓蒙活動を行う。9年以降、新政府に出仕し、司法少丞、元老院少書記官、会計検査官などを務め、法制整備に携わる中で大隈重信と親交を深める。明治14年の政変により、下野。15年には、立憲改進党の創設に参加するとともに、東京専門学校(後の早稲田大学)を設立し、講師となる。