猪俣家の二男として生まれ、後に元田直の養子となる。明治13(1880)年東京大学法学部卒。養父の事務所で代言人として働く。23年第1回総選挙以降16回当選。33年立憲政友会創立に参加。44年拓殖局総裁、大正2(1913)年第1次山本内閣逓相、9年には原内閣で初代鉄相に就任するも、11年内閣改造問題で党より除名。13年床次竹二郎らと政友本党を結成するが、昭和2(1927)年政友会に復党。3年衆議院議長就任、5年総選挙で落選。7年政党人として初めて枢密顧問官となった。