中津藩士・和田薫六の長男。明治17(1884)年慶應義塾を卒業後、渡米。帰国後、日本郵船に入社。その後、三井銀行、鐘淵紡績を経て、34年経営不振に直面していた富士紡績の専務となり経営を再建。大正5(1916)年東京瓦斯紡績を合併した富士瓦斯紡績の社長に就任。鐘紡の武藤山治と並び称される紡績業界のリーダーとなる。また、日本工業倶楽部の設立に尽力。11年貴族院議員に勅撰され、また同年日本経済聯盟会(後の経団連)常務理事となる。