解説
父は高知藩郷士。文久元(1861)年土佐勤王党に加わり、3年藩命により上京、三条実美の信頼を得る。同年8月18日の政変により、急進派公卿が追放(七卿落ち)されると、三条に従い長州、ついで大宰府に行く。この間、中岡慎太郎とともに、薩長同盟の実現にも尽力。維新後は東京府判事等を経て太政官に出仕、以後宮内少輔、内務大輔、内閣書記官長、元老院議官、宮中顧問官等を歴任。明治20(1887)年第1次伊藤内閣で農商務相、次いで宮相に転じ、翌年枢密顧問官を兼ねた。大正3(1914)年宮内省臨時帝室編修局総裁。国学院大学長、東京女学館館長等も務めた。
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