父は、佐伯藩士。明治6(1873)年慶応義塾卒。『郵便報知新聞』副主筆、大蔵省入省を経て、太政官大書記官兼統計院幹事に就任するが、「明治十四年の政変」で大隈重信に従い退官。15年「東洋議政会」を主宰し、立憲改進党結成に参加。同年1月に社長に就任した『郵便報知新聞』を党の機関紙として党の発展に尽力。23年宮内省式部官、30年清国駐箚特命全権公使を務めた後、大正13(1924)年大阪毎日新聞社副社長に就任。
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