明治元(1868)年戊辰戦争で会津城籠城に参加、銃をとり明治政府軍と戦った。4(1871)年兄・覚馬を頼って上洛し女紅場(後の府立第一高女)の教師となる。9(1876)年女子塾を開き、同志社女子大学の基礎をつくった。新島襄と結婚し同志社の運営に携わる。夫の死後、日本赤十字社の篤志看護婦として日清・日露戦争で活躍した。