佐賀藩医松隈甫庵の四男、医師川崎道明の養子。大槻磐渓の塾で蘭方医学を学び佐賀藩医となる。万延元(1860)年の遣米使節、文久元(1862)年の遣欧使節に御雇医師として参加。フィラデルフィア滞在時に写真館で写真術の指導を受け、帰国後、藩主鍋島直正を撮影。明治5(1872)年佐賀県城下で佐賀県新聞を発行、啓蒙活動に尽力した。
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