女子教育家、歌人、社会事業家。京都西本願寺法主の次女に生まれ、明治42(1909)年九条家に嫁して渡欧、43(1910)年単身帰国。和歌を佐佐木信綱に学び同人誌『心の花』の代表的歌人となった。44(1911)年仏教婦人会本部長となり、各地を巡回しつつ女子教育の促進につとめた。大正9(1920)年京都女子高専(後の京都女子大学)を創設。関東大震災の救済事務所で救護活動の陣頭指揮を行い、託児所や臨時の診療所を造設、また恵まれない少女の施設などを創設した。