江戸の医学所に学び、明治4(1871)年兵部省軍医寮に出仕、近代軍医制度の創始に尽力した。21(1888)年陸軍軍医総監、23(1890)年陸軍省医務局長、35(1902)年貴族院議員。日清戦争時は衛生長官として傷病兵の救護、戦時衛生の確保に貢献した。大正6(1917)年日本赤十字社社長。茶人としても有名で况翁と号した。