序 日仏交流の幕開け

幕末、日本の開国を迫る国々の中に、フランスの姿もあった。安政5(1858)年にフランス使節が来日し、日仏修好通商条約が締結され、日仏の公式な関係が始まる。
江戸幕府が、小栗忠順(1827-1868)や栗本鋤雲(1822-1897)らを中心に、第2代駐日フランス公使レオン・ロッシュ(1809-1901)との接触を深め、製鉄所の建設や軍事技術の導入を図り、1867年パリ万国博覧会に使節を派遣したことはよく知られている。「鎖国」下、西洋知識の受容にはオランダ語の知識が求められたが、この頃には英語やフランス語の必要性が高まった。
明治維新後の新政府にとっては、旧幕府が結んだ不平等条約の改正が大きな懸案であった。欧米社会のあり方や外交規則など、多くを学びとることが求められ、岩倉使節団の一員として、あるいは留学生・外交官として、多くの人々がヨーロッパに赴き、フランスを訪れた。