インキュナブラの大きな特徴に活字の書体がヴァラエティに富んでいるということがあります。インキュナブラは中世写本を真似たものを作ることから出発しました。グーテンベルクの『42行聖書』には当時の聖書や典礼書で用いられていたtextura quadrataという書体が使われています。この聖書を印刷するのにグーテンベルクは約300種の活字を用いていますが、この数の多さは原稿となる写本で使われた文字の縮約形や略字、連字等をすべて活字化するとともに、同じ文字でも少しずつデザインの異なる活字を作ったためです。
ヨーロッパの中世写本は書物あるいは文書の種類により、あるいは筆写の時代や場所により書体が異なっていました。このためインキュナブラ印刷者は本により様々な活字フォントを使い分けましたし、当時はまだ活字鋳造だけを専門で行う業者はいませんでしたので、彼らは自分で活字父型を彫るか、貰い受ける (購入する) 、あるいは母型のみを貰い受けることで活字を自分で鋳造しました。その結果、印刷者毎に様々なフォントが使われ、インキュナブラ学ではこれが印刷者同定のための証拠として使われています。
『42行聖書』で用いられたtextura quadrataという書体は11世紀頃に北フランスで始まったprotogothicという書体に由来するもので、全体が織物 (texture) のように見え、角張ったデザインであるところから付けられた名称です。この書体は少し遅れてドイツで流行し、グーテンベルクの時代には聖書や典礼書などで盛んに使われていました。同じ角張っていながらもう少し丸みを帯びた書体が12世紀北イタリア (ボローニャ) で始まり、こちらの書体はrotundaと呼ばれています。こちらも15世紀まで使われていましたので、この書体の活字も多く作られました。これらのゴシック体が登場するまで、8世紀末のシャルルマーニュ帝 (カール大帝) の時代 (カロリング朝時代) に始められたCarolingian minusculeと呼ばれる優美な書体がヨーロッパ中に広まっていました。これは、それまでhalf-uncialとかcursiveという書体で書かれていた書籍や文書が非常に読みにくいものであり、読みやすい文字と読みやすい句読法で書くようにしたアルクイン (c.730-804) の改革により始められた書体でした。この書体でローマの古典の写本を作製することも行われ、7自由学芸を制度化する教育改革も行われましたので、この時代は「カロリング・ルネサンス」とも呼ばれます。ゴシック体の文字と比べるとローマ時代の書体に近く、15世紀の人文主義者達はこちらの書体を古典古代に立ち返るものとして復活させようとしました。その結果生まれたのがローマン体活字です。ゴシック体という言葉はルネサンスの人文主義者達がローマン体 (古代ローマの書体) にくらべてGoth (ゴート族のような、粗野な) であるとしたところからきています。このゴシック体とローマン体がインキュナブラの二大活字で、イタリック体は16世紀になってから使われるようになりました。
インキュナブラで使われた活字の8割はゴシック体で、それは大きく3種類に分けられます。第1が『42行聖書』で使われたテクストゥラ体です。角張った書体で、主に教会で使われる書物で用いられ、本文書体 (lettre de forme) とも呼ばれます。第2は丸みを帯びた書体で、スコラ学の著作によく使われましたのでスンマ体 (lettre de somme) と呼ばれます。先に述べたrotundaはこのグループに入りますし、ペトラルカ (1304-74) がCarolingian minusculeを真似て使い出したfere-humanisticaと呼ばれる書体もこのグループに入ります。グーテンベルクが印刷したともいわれる『カトリコン』の書体やフスト、シェファーがデュランティ『聖務論』 (1459) で用いた書体がスンマ体です。第3は少し傾いた (cursive) 書体で、手書きの文書で用いられた草書体に由来し、バタード体 (lettre de bâtarde) と呼ばれます。この書体は写本ではブルゴーニュ公国の宮廷でよく用いられましたのでlettre bourguignonneとも呼ばれます。インキュナブラとしてはフランス、イギリスの印刷者がよく使い、ラテン語でなく母国語のものを印刷するときによく使われました。
グーテンベルクが印刷したとされる『31行免罪符』 (1454-55) の活字がバタード体ですし、イギリスに印刷術を導入したW.キャクストンの用いた活字のほとんどがバタード体です。 1480年頃からはドイツ、スイスで曲線的なバタード体が使われるようになり、この書体はSchwabacherと呼ばれます。この書体は16世紀に入るともっと表現的なFrakturと呼ばれる書体へと発展しました。
一方、インキュナブラで使われた活字の2割はローマン体です。この書体は古代ローマの再生を目指したイタリア・ルネサンスの人文主義から生まれました。フマニストの写本の書体としては、上記のペトラルカの書体をもとに15世紀初頭にポッジオ (1380-1459) 、ニッコリ (d.1437) 、サルターティ (1331-1406) らがさらに発展させたantiquaと呼ばれる書体がフィレンツェを中心に使われていました。15世紀半ばにはさらに古代ローマの碑文で使われた大文字の書体を真似た書体が使われ、ここからローマン体活字がデザインされました。
最初に使われたローマン体活字はC. スヴァインハイムとA. パナルツという二人のドイツ人が1465年にローマ郊外のスビアコでキケロ『雄弁術』の印刷に用いた活字です。この活字はまだゴシックの趣を残していますのでgotico-antiquaとも呼ばれます。この二人は1467年からはローマに移り、別のローマン体活字を用いて印刷を続けました。彼等のローマン体活字はシュトラスブルクのアドルフ・ルシュの活字などに影響を与えました。
今日のローマン体活字に近いデザインを初めて行ったのはヴェネツィアのJohannes de SpiraとVindelinus de Spiraの兄弟で1469年に5年間の独占使用権を取りましたが、翌年亡くなったため、また別のローマン体活字が作られました。それがN. ジャンソンの活字です。この活字は美しいことで有名で、以後のイタリアの活字のモデルとなりました。この活字デザインはVenetianとも呼ばれます。1496年にヴェネツィアのアルドゥス・マヌティウスはP. Bembo: De Aetna dialoguesを新しいローマン体で印刷しました。Venetianよりも線のコントラストが強くなっており、このデザインはオールド・フェイスと呼ばれます。このデザインは16世紀には盛んに使われるようになり、C. Garamond (c.1500-61) がデザインした活字はR. EstienneやC. Plantin等有名な印刷者が用いました。18世紀に入るとG. Bodoni (1740-1813) やF.-A. Didot (1730-1804) といった人達がさらに洗練されたローマン体のデザインを行い、こちらはモダン・フェイスと呼ばれます。また、上記のアルドゥスは16世紀に入ってローマ古典等を8折本のシリーズとして刊行しましたが、この時使った書体は写本の草書体に似せてローマン体を斜体にしたもので、イタリック体と呼ばれます。
ゴシック体、ローマン体の両者とも作られた活字は単独のアルファベットや数字だけでなく、その他の記号やその組み合わせ (連字ligatureと呼ばれます) 、あるいはアルファベットに「-」や「~」、「。」等が付けられた変則的な活字も作られました。これらは写本時代の表記法をそのまま活字化したもので、スぺースや時間の節約のため縮約形や略字が使われたという慣習が維持されました。縮約形や略字については小事典で説明していますので、ご覧ください。