特別展示 細川ガラシャ
細川ガラシャ(ほそかわ がらしゃ) (1563-1600)
明智光秀の娘。名は、たま。細川忠興に嫁し、天正15(1587)年受洗。洗礼名ガラシャ(Gratia ラテン語で神の恵みの意味)。慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで忠興が徳川方(東軍)についたため、石田三成が人質としてガラシャの大坂入城を求めたが、ガラシャはそれを拒み、大坂玉造の細川邸において家臣の手によって自らの命を絶った。享年38歳。
1 細川忠興夫人書簡(『細川忠興同夫人等書状』のうち)〔安土桃山時代〕【WA25-35】
細川ガラシャが、仕えていた小侍従に宛てたもの。小侍従はガラシャが忠興に嫁ぐ際に明智家がつけた侍女で、後に細川家家臣平田家へ嫁した。流麗な筆跡の美しい仮名散らし書きで、文面からは周囲の者への細やかな心配りが読み取れる。
当館ではガラシャの書状10通のほか、細川忠興書状8通、三男忠利書状1通、四男立允書状1通、合わせて20通を所蔵する。いずれも、小侍従が嫁した平田因幡につらなる平田家、松本家の旧蔵。
ちらし書き
「細川忠興夫人書簡」は、行頭・行末や行間をそろえず、文字を“散らして”書かれています。一見ランダムに見えますが、ある程度の法則性はあり、大きな文字から読み始めるのが原則です。
誰がいつ、何のために始めたかは、わかっていませんが、平安時代にはすでにあったようです。女性の手紙、仮名の手紙に多く見られます。
紙の大きさと種類
紙を漉く道具である簀桁という枠のサイズが、和紙の基本のサイズです。このサイズの紙を立紙(竪紙)と呼びます。横長に2つに折ったものを折紙と言い、折り目を下にして書き、続きはひっくり返してまた折り目を下にして書きます。広げると、文字の向きは逆になります。
折紙を折り目で切ったものが切紙です。それをつなげたものが継紙、さらにそれを巻いたものが巻紙で、巻紙が登場したのは江戸時代後期です。昔の人は長い手紙をくるくると読んでいるイメージがありますが、それほど古くからあったわけではありません。