第三話 名探偵

皆様は、探偵という言葉を聞いて、どのようなイメージをお持ちになるでしょうか。頭脳明晰で、洞察力にすぐれている、紳士然とした人物、変人奇人、格闘術をたしなむ武闘派、はたまた一歩も動かずに事件を解決する安楽椅子探偵…。皆様それぞれに、これまで出会ってきたさまざまな探偵のイメージをお持ちかもしれませんね。
この章では、日本の探偵小説の歴史上もっとも有名な2人の名探偵に会いに行きましょう。

明智小五郎と少年探偵団

江戸川乱歩作品に登場する名探偵・明智小五郎は、子ども向けの「少年探偵団」シリーズで広く知られるようになります。このシリーズは、モーリス・ルブランの怪盗アルセーヌ・ルパンを参考にして創作した、乱歩にとって初めての子ども向けの連載探偵小説でした。従来の怪奇趣味な作品とは打って変わって明るい作風を打ち出し、子どもたちの心をつかみました。
少年探偵団のシリーズ第一作目『怪人二十面相』から、登場人物をご紹介します。

怪人二十面相

怪人二十面相

怪人二十面相

「その頃、東京中の町といふ町、家といふ家では、二人以上の人が顔を合はせさへすれば、まるでお天気の挨拶でもするやうに、怪人『二十面相』の噂をしてゐました。」(はしがき冒頭より)

怪人二十面相は不思議な盗賊でした。人を傷つけたり殺したりすることはなく、血が嫌い。現金ではなく、美しくてめずらしい美術品や高価な品物だけを狙い、予告状を送って盗み出します。夢のような秘密基地を持ち、変装がとびきり上手な黒いマントの二十面相は、敵役にもかかわらず、子どもたちに大人気でした。

怪人二十面相に相対するのが、明智小五郎です。彼は、満州国の重大な事件の捜査に招かれ、活躍して帰ってきたばかりの名探偵として登場します(『怪人二十面相』【Y8-N04-H185】)。二十面相の変装をたちどころに看破し、手下たちのわなを切り抜け、時には自らが変装しながら、二十面相のたくらみを阻止しようとします。

怪人二十面相

怪人二十面相

「一等車の昇降口に、懐かしい懐かしい明智先生の姿が見えました。黒い背広に、黒い外套、黒のソフト帽といふ、黒づくめのいでたちで、早くも小林少年に気づいて、ニコニコしながら手招をしてゐるのです。」
(江戸川乱歩「怪人二十面相」『少年倶樂部』23(8), 大日本雄辯會講談社, 1936-08【Z32-387】より)

明智探偵の助手として活躍するのが、小林芳雄少年です。「林檎のやうに艶々した頬」の十五、六歳の少年でありながら、敵のアジトに潜入したり、直接二十面相と対峙したりと、八面六臂の活躍を見せます。物語の終盤には、小林少年にあこがれた少年たちにより「少年探偵団」も結成されます。

怪人二十面相

怪人二十面相


魔法のような変装術を披露しながら堂々と盗みをはたらく怪人二十面相、それに対する洋装の探偵紳士と優秀な少年助手―両陣営の知恵比べのゲームのような物語は、小林秀恒や梁川剛一をはじめ、数々の挿絵画家の秀麗な挿絵とともに雑誌に連載され、大人気となりました。

二人の明智小五郎

子ども向けの探偵小説シリーズの連載を開始するにあたって、当時の編集者は、「主人公である名探偵は、多彩な特殊能力を身につけた、一種のスーパーマンであることが読者をひきつける」(須藤憲三「乱歩先生の「少年もの」」『江戸川乱歩全集』月報8(1969.11 講談社)【Y91-E1635】)という考えから、すでに別の作品で活躍していた明智小五郎を登場させた、と回想しています。
しかし、明智小五郎が初めて登場した『D坂の殺人事件』では、明智は決してスーパーマンではありませんでした。もじゃもじゃ頭でいつも木綿の着物によれよれの兵児帯を締めて、変に肩を振る歩き方をする変わり者、しかし話をしてみれば頭がよさそうな、書物に埋まった四畳半で暮らしている、これという職業を持たぬ書生風の一種の遊民、これが最初の明智像でした。
『心理試験』、『屋根裏の散歩者』、『一寸法師』、『蜘蛛男』、『黄金仮面』等の作品に登場するにつれて、明智は洗練された装いの名探偵へと変化し、『怪人二十面相』ではヒーローぶりを遺憾なく発揮します。

D坂の殺人事件

あるエッセイは、明智の人物像の変化を、こう表現しています。

「明智小五郎は、二人いる。― 一人は、たとえば、よれよれの荒い棒縞の浴衣に下駄を突っかけ、妙に肩を振った歩き方で、(中略)長く縮れたモジャモジャの髪を、神経質そうな長い指で掻き回す。(中略)
もう一人の明智は、第一の明智とは似ても似つかない、瀟洒な男である。(中略)背広なんかを典雅に着こなし、(中略)やわらかにウェーヴのかかった長めの髪が、午後の日差しに艶やかに光る。(中略)人の噂では、洋行帰りの白皙の名探偵らしい。」
(久世光彦「明智小五郎は二人いる」『明智小五郎全集』【KH95-E373】)

「少年探偵団」シリーズ以前の作品にさかのぼっていけば、大正時代の東京を着物でふらつく、探偵小説好きの青年―ひょっとしたら、デビュー当初の乱歩もそうではなかったかと想像してしまうような―そんなもう一人の明智小五郎に、あなたも出会えるかもしれません。

探偵小説三十年
大正十五(昭和元)年の江戸川乱歩

屋根裏の散歩者

一寸法師


コラム 「少年向け探偵もの」の系譜

「少年探偵団」シリーズは、『怪人二十面相』から『少年探偵団』、『妖怪博士』、『大金塊』へと続いたところで戦争による中断を迎えますが、戦後は映画やラジオドラマ・テレビドラマになり、より人気を高めました。漫画化もされ、若き日の藤子不二雄Aやちばてつやらもペンをふるっています。
戦後の同時期には他にも、河島光広『ビリーパック』(昭和29年~)、手塚治虫『ケン一探偵長』(昭和29年~)桑田次郎『まぼろし探偵』(昭和32年~)等、少年探偵を主人公とする漫画作品が生まれています。

ビリーパック

古くは押川春浪の冒険ものや三津木春影の作品等に遡る「少年向け探偵もの」の系譜は、現在も『金田一少年の事件簿』や『名探偵コナン』などの人気作品として、子どもにも大人にも親しまれています。

金田一耕助―作家と名探偵の関係―

「興奮すると雀の巣のようなもじゃもじゃの髪の毛をかき廻し、(中略)はじめて接したものには軽蔑の眼で見られるが、それを少しも意に介しない。にこにこしながら、人なつこい態度で接するので、彼の聴取はたいてい成功する。世界の探偵紳士録を眺めても、二枚目半の金田一のような存在は類がない。」
(中島河太郎「金田一探偵の魅力」『名探偵金田一耕助の事件簿』1(Big bird novels), ベストブック社, 1976【Y82-3268】)

推理小説評論家・中島河太郎(かわたろう)がこう評したのが、横溝正史が生み出した名探偵・金田一耕助です。
金田一耕助は『本陣殺人事件』(昭和21年連載開始)から多くの作品に登場していましたが、大流行となったのは、昭和40年代から昭和50年代にかけての、いわゆる「横溝ブーム」の時期です。この頃、金田一耕助シリーズは『八つ墓村』を皮切りに続々と文庫化され、昭和51(1976)年には映画「犬神家の一族」が大ヒットします。

長篇小説名作全集

現代大衆文学全集

金田一耕助推理全集

金田一耕助推理全集

横溝正史全集

横溝が「いたって妥当であると思われる」と紹介した、田中潤司が選んだ金田一耕助もののベスト5。
『獄門島』『本陣殺人事件』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『八つ墓村』

金田一耕助の一番の特徴である、もじゃもじゃ頭をひっかきまわしたり、いつも袴を履いたりしているのは横溝自身をモチーフにしたそうです。横溝は、金田一のキャラクターの着想について、「どうせ人生のあらゆる面で劣等感の強い私には、スーパーマンは書けっこない。秀才タイプも私の柄ではない。」(『名探偵金田一耕助の事件簿』第3巻【Y82-3268】)と述べています。

悪魔が来りて笛を吹く
横溝正史

スマートな名探偵とは遠いキャラクターを与えられた金田一耕助は、読者に親しみを感じさせるのみならず、横溝がたびたび「耕ちゃん」と呼ぶくらい、作者とも非常に距離の近いキャラクターだったと言えるでしょう。実際、横溝の随筆を手に取ってみれば、穏やかで軽妙な筆致には、なるほど、金田一耕助という力みの抜けたキャラクターの産みの親だと納得させられるような雰囲気があります。

金田一耕助、最後の事件

金田一耕助シリーズが大流行中の昭和50(1975)年、横溝は、「金田一耕助最後の事件」と題した作品の執筆に取り掛かります。これは、アガサ・クリスティーが、創作意欲旺盛な時期に名探偵・ポアロの最終作品『カーテン:ポアロ最後の事件』(原題 : Curtain: Poirot's Last Case)を執筆したことも参考にしたようです。

カーテン : ポアロ最後の事件

病院坂の首縊りの家 :金田一耕助最後の事件

横溝は後年、次のように語っています。

「このクリスティーの気持は、私によくわかるような気がするのである。作者と物語の主人公のあいだには、そのつきあいが長ければ長いほど、こまやかな愛情が通いあうものなのである。それは肉親に対する愛情とはまた違った、いや、それ以上の深い愛情なのである。」
(横溝正史『真説金田一耕助』毎日新聞社, 1977【KH734-95】より)

『病院坂の首縊りの家 : 金田一耕助最後の事件』で、横溝は、金田一耕助にどのような結末を用意したのでしょうか?真相は、作品をお手に取ってお確かめください。

次へ 第四話
探偵小説を彩るトリックの世界



ページの
先頭へ