解説
父は岡山藩士。慶応義塾に学ぶ。郵便報知新聞の記者として西南戦争に従軍。東海経済新報記者をへて、立憲改進党創立に参画。大同団結運動で活躍。明治23(1890)年第1回総選挙で衆議院議員に当選、以後第18回総選挙まで連続当選。第1次大隈内閣文相、第2次山本内閣逓相をつとめる。大正11(1922)年、革新倶楽部を組織し、13年加藤高明らと護憲三派内閣を結成、逓相に就任。昭和4(1929)年立憲政友会総裁。6年、首相となるが、翌年5・15事件で暗殺される。
関連資料
電子展示会「あの人の直筆」より