父は萩藩士。松下村塾に学ぶ。尊王攘夷運動に参加。戊辰戦争で活躍。明治2(1869)年兵部大丞に就任。4年陸軍少将に昇進、岩倉遣外使節団に随行。佐賀の乱、西南戦争に従軍し、反乱士族を鎮圧。11年中将。参議をつとめる一方、工部卿、内務卿、司法卿を歴任。第1次伊藤内閣の司法相に就任し、以後黒田内閣、第1次山県内閣、第1次松方内閣でも留任した。法典整備に尽力し、皇典講究所(現国学院大学)、日本法律学校(現日本大学)の設立にも関わる。