解説
父は地方官。慶応義塾、工学寮を共に中退。その後、新潟新聞、郵便報知新聞などのジャーナリズムの世界に身を投じる。明治23(1890)年第1回総選挙に当選し、昭和27(1952)年総選挙まで連続25回当選。その間に文相、東京市長、司法相などを歴任。大正元(1912)年の第一次護憲運動では犬養毅と共にその先頭に立ち、桂首相を追求して、「憲政の神様」と呼ばれた。昭和17(1942)年翼賛選挙に批判的な立場を取り、不敬罪として起訴されたが、無罪となる。戦後は長老的な存在として活動し、衆議院名誉議員となる。没後、彼を記念して国会の脇に「尾崎記念館」が建てられた。
関連資料
電子展示会「あの人の直筆」より
歴史的音源
尾崎行雄の作品、演説を聴く