実業家、茶人。慶応義塾で福沢諭吉に推挙されて、明治5(1872)年時事新報入り。アメリカ、イギリス留学後に三井呉服店、三井銀行に勤務。三井呉服店(後の三越)の近代化をはかり、デパートメント・ストアの形を定着させた。後に王子製紙の専務を務め、実業界を引退して益田孝、原富太郎らとともに数奇者と呼ばれる文化人として活躍した。茶道具名器を集大成した『大正名器鑑』や茶の湯ジャーナリズムの先鞭をつけた『東都茶会記』など茶道に関する著作が多数ある。
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