解説
父は右大臣徳大寺公純、徳大寺実則は実兄。西園寺師季の養子となる。戊辰戦争に参加。明治4(1871)年フランス留学。滞仏10年ののち帰国し明治法律学校を設立。中江兆民らと『東洋自由新聞』を創刊。15年伊藤博文の憲法調査に随行し渡欧。オーストリア、ドイツ、ベルギー各国の駐在公使をつとめる。帰国後、賞勲局総裁、枢密顧問官など経て、第2次伊藤、第2次松方、第3次伊藤各内閣の文相、外相となる。33年枢密院議長。36年立憲政友会総裁。39年首相となり、以後桂太郎と交互に首相をつとめた。大正8(1919)年パリ講和会議の全権委員。9年公爵。最後の元老として大正末期から昭和初期にかけて、後継首相推薦の任にあたった。
関連資料
リサーチ・ナビ
電子展示会「あの人の直筆」より