巻物を広げるにつれ絵と文が展開していく絵巻物は、平安時代末頃から見られ、鎌倉時代に最も多く作られた。室町時代以降は、その製作は減少するものの、貴重な資料も少なくない。江戸時代には『寛永行幸記』『御馬印』のような、活字や色刷りの絵巻物も刊行された。
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絵入り本の歴史は平安・鎌倉時代の絵巻物に始まり、江戸時代には多様な絵入り本が数多く作られた。絵も字も手書きの奈良絵本、版本の挿絵に筆で彩色を施した
しかし、これらの大部分は幕末から明治にかけて海外に流出したため、今日国内では、一般の人々が目にする機会は少ない。一方、欧米では“ehon”(絵本)と呼ばれ、絵、文字、印刷、装訂の美しさなどから、日本の美術品の一つとして愛好されている。
当館で所蔵する絵入り本の数は国内トップクラスであり、近年は、書誌学上特に重要で質の高い絵入り本を収集することに努めてきた。第3部ではそれらの中から選び紹介する。本の形態や成立の時代などを考慮して、絵巻物、奈良絵本、丹緑本、墨刷り絵本、多色刷り絵本、画譜の順に排列した。
絵巻物
55 義経奥州下り
- 〔室町時代後期〕写 1軸 縦29.6cm <WA31-18>
兄頼朝に追われ都落ちした源義経、弁慶らの一行が、奥州平泉の秀衡館に到着するまでの物語。書名は書き題簽による。書写年は記されていないが、書風、画風、料紙などから室町時代後期頃と推定され、中尊寺蔵『義経北国落絵巻』よりもやや古いと思われる。巻頭に「早雲寺」の印記がある。大永元年(1521)に北条氏の菩提寺として建立された箱根の早雲寺のことか。加賀国安宅の関からはじまるが、弁慶が勧進帳を読み上げる有名な場面では、巻物の法華経を代用したとするのが特徴である。
56 十二月遊ひ
- 2巻 〔江戸時代前期〕写 2軸 縦32.7cm <WA31-19>
当時、京の都で行われていた一年間の行事や季節の遊びを、月ごとに記した彩色絵巻。書名は書き題簽による。正月は箒や
寛永行幸記
寛永3年(1626)9月、二条城の徳川秀忠、家光のもとに後水尾天皇の行幸があった。歴史的大行事であったことから、豪華な行列は屏風や絵巻に数多く描き残されている。中でも、古活字版で刊行された「寛永行幸記」と通称される絵巻は、御
57 寛永三年二条城行幸 〔上・中巻〕
- 〔寛永4(1627)頃〕刊 2軸 縦26.7cm <WA7-229>
古活字版『寛永行幸記』第二種ロ本。書名は題簽による。この版に用いられている「絵活字」の総数は112個。幅約42cmの料紙を一画面として刷り、68枚の料紙をつないで絵巻としている。実際の印刷方法は未詳だが、各紙面の左下部分に、見当の跡らしきものが刷り出されていることから、文字と絵を別々に組み、二度刷りをしていると推測される。第二種ロ本の同版は10本ほどあるが完本は少なく、展示本も下巻を欠く。宮内庁書陵部、京都大学文学部古文書室、天理図書館所蔵本が揃本である。
- 見当
- 複数の版を用いて刷る場合に、版がずれないように位置を示す目印
58 〔寛永行幸記〕
- 3巻 〔寛永年間(1624-44)〕刊 3軸 縦26.2cm <WA7-257>
古活字版『寛永行幸記』別種本。第一種本と第二種本はほぼ同じ絵活字を使用するが、この別種本は、絵活字をすべて新しく彫りなおしている。第二種ロ本を覆刻しているので絵活字総数も同じはずだが、元来2個だった絵活字を1個として彫り直したものがあり、総数110個。一見57と酷似するが、画中の扇を上げて振り向く人物の足元を見れば、両者が別々の絵活字であることがわかる。この版には中、下巻末に「あいのまち通高田町」と出版地が記載されている。同版は栗田元次旧蔵の1本のみ。
57 <WA7-229> |
58 <WA7-257> |
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59 〔御旗本備作法〕
- 〔江戸時代中期頃〕写 1軸 縦24.5cm <WB35-4>
書名は仮題。出陣の際の陣立て行列図絵巻。全長約13m。一見、『寛永行幸記』と似ているが、活字印刷ではなく、人物や馬をスタンプに作り、それを押捺して絵巻にしている。使用スタンプ数は意外に少ない。例えば、登場する54騎の騎馬はわずか5個のスタンプで賄う。筆で色を補い、馬印や旗などを書き加えて、異なった姿に見せているのである。同種のものが多く現存するが、印刷物ではないので同じ図様はなく、使用スタンプも作品ごとに大小色々あるようである。具体的な製作方法や時期などは明確になっていない。
60 御馬印
- 6巻 〔寛永年間(1624-44)〕刊 6軸 縦23.5cm <WA8-7>
総計170人の戦国武将の馬印を集める。馬印とは、戦陣で大将が馬の側に立てて、居所や陣地を示すもの。彩色方法は、金銀泥などは手彩色だが、朱や藍、胡粉の白などは木版印刷によっているようである。天地や左右下方に見当の跡らしき黒線が見られる。墨刷り印刷と色刷り印刷の両方が使われていることから、18世紀に始まる多色刷り印刷錦絵の源流とみられ、江戸初期の最も重要な彩色刷り資料である。上質の料紙が用いられている。伝本は少ない。特に巻6はこれまで知られておらず、6巻6軸の全巻揃いは当館所蔵本が唯一のものである。