医学者、政治家。文久2(1862)年医学習得のため佐倉の順天堂に入学し、佐藤尚中、松本順に師事。明治2(1869)年大学東校(後の東京大学医学部)の少助教となるが、9年に私立医学校済生学舎を創設、医学生の養成に努めた。この間、衆議院議員を第1回帝国議会から3期務め、内務省の衛生局長、中央衛生委員などの医療行政の役職につき医事衛生に貢献した。