資料と解説・第3章 GHQ草案と日本政府の対応
3-4 極東委員会の設置とGHQとの会談
終戦後の日本は事実上米国の単独占領のもとに置かれていたが、1945(昭和20)年12月のモスクワ外相会議の結果、日本占領管理機構としてワシントンに極東委員会が、東京には対日理事会が設置されることとなった。極東委員会は日本占領管理に関する連合国の最高政策決定機関となり、GHQもその決定に従うことになった。とくに憲法改正問題に関して米国政府は、極東委員会の合意なくしてGHQに対する指令を発することができなくなった。翌年1月17日、来日中の極東委員会調査団(来日中は、前身である極東諮問委員会として活動した)はGHQ民政局との会談の席で、憲法問題についての質問を行ったが、民政局側は憲法改正についての検討は行っていないと応じた。同月29日、マッカーサーは同調査団に対し、憲法改正については日本側に示唆を与えたものの、モスクワ宣言によりこの問題は自分の手を離れたと述べた。
資料名 |
Incoming Message to CINCAFPAC [MacArthur] from Washington(War), nr WCL 32355 [Communiqué of Moscow Conference, December 27, 1945] |
年月日 |
28 December 1945 |
資料番号 |
GHQ/SCAP 高級副官部文書 GHQ/SCAP Records;Adjutant Generals Section;Box No. 447 "FEAC#1" <Sheet No. AG(A) 00236> |
所蔵 |
国立国会図書館 |
原所蔵 |
米国国立公文書館(RG331) |
注記 |
マイクロフィッシュ |
資料名 |
Report of Government Section to Far Eastern Commission [Government Section Meeting with Far Eastern Commission] |
年月日 |
17 January 1946 |
資料番号 |
極東委員会文書 Records of the Far Eastern Commission, 1945-1952 Box No. 94 "GS;Report of Government Section to FEC" <Sheet No. FEC(B)0485-0487> |
所蔵 |
国立国会図書館 |
原所蔵 |
米国国立公文書館(RG43) |
注記 |
マイクロフィッシュ |
資料名 |
Memorandum of Interview with General of the Army Douglas MacArthur [Held on January 29, 1946] |
年月日 |
January 30, 1946 |
資料番号 |
極東委員会文書 Records of the Far Eastern Commission, 1945-1952 Box No. 237 "SCAP-FEC Liasion" <Sheet No. FEC(B)1679-1680> |
所蔵 |
国立国会図書館 |
原所蔵 |
米国国立公文書館(RG43) |
注記 |
マイクロフィッシュ |
Copyright©2003-2004 National Diet Library All Rights Reserved.