1 基本的人権の保障の拡充
明治憲法における基本的人権の保障は「法律ノ範囲内」という限定付きのものであった。こうした基本的人権の制限的な保障を改革する必要性が、ポツダム宣言や、米国政府の日本占領政策の方針(「日本の統治体制の改革(SWNCC228)」)において述べられていた。GHQ内部における研究においても同様の問題点が指摘されていた。
一方、日本側で行われた憲法改正の検討においても、基本的人権の保障を拡充する必要性は認められていたが(近衛文麿「憲法改正要綱」、松本烝治「憲法改正四原則」等)、「法律ノ範囲内」という文言は残されたままであった(佐々木惣一「帝国憲法改正ノ必要」、憲法問題調査委員会諸意見等)。
憲法問題調査委員会(松本委員会)がGHQに提出した「憲法改正要綱」においても、「法律ノ範囲内」という限定を削除する修正はなされなかったため、GHQを満足させるものとはならなかった(「ケーディスの所見」」)。
「GHQ草案」では、総則的な規定において、または一部の人権規定についてのみ、「一般の福祉(general welfare)」という制約を明示するにとどめ、個々の人権規定については原則として制限規定を設けないことにした。GHQ草案を基に作成された日本政府の「3月2日案」においても、この点は受け入れられ、「公共ノ福祉」という文言が人権の一般的制約原理として採用された。こうした人権保障の規定の枠組みは、基本において修正されることなく、現行憲法として確定した(「日本国憲法」)。
このようにして「公共の福祉」が新たな制約原理として導入されたのであるが、それが明治憲法の人権制約原理とどのように異なるのかという点については、憲法施行後においても議論となった。そこで議論された個人の権利と社会全体の利益をいかに調和していくのかという問題は、現在においても一つの争点であり、「公共の福祉」の具体的内容をめぐる議論は続いている。