第1章 江戸時代初期

コラム 中国の数学の影響(難易度0)

古代日本では数字の表記、大きな数字の呼び方や暦の体系も中国から伝わったものを使いましたので、日本の数学は中国の数学の移植から始まったといえるでしょう。

書物として残る中国の古い数学書として知られるのは『周髀算経』と『九章算術』の二書ですが、いずれも著者名も成立年も不明です。

名前の知られる最初の有名な中国の数学者は魏の劉徽で、『九章算術』への注釈で円周率を3.14 とするなど、大きな進展がありました。それは日本では邪馬台国の頃です。唐の時代に、これらの本は他の数学書と合わせて「算経十書」と呼ばれる官僚養成の教科書となりました。これらは当時、日本にも官僚制度としてもたらされたことが、平安時代に作成された『日本国見在書目録』に載っていることからもわかります。しかし、日本で数学研究が発達することはありませんでした。

中国で次に数学研究が盛んになったのは13世紀のことで、秦九韶(1202-1261)の『数書九章』や楊輝の『楊輝算法』など、新しい数学が生まれました。天元術という方程式の解法が開発され、のちに日本に入って、和算の発展の土台になっています。江戸時代に和算が盛んになる以前、日本の数学は停滞を続けており、暦も実際の天体の位置とは異なるようになっていました。

和算が盛んになるきっかけに吉田光由(1598-1672)の『塵劫記』の成功がありますが、『塵劫記』は中国の程大位(1533-1606)が書いた『算法統宗』を手本にしたといわれます。吉田は親戚にあたる角倉素庵から『算法統宗』のことを教えられたそうですが、この本は商人向けの数学書で、そろばんの使い方なども書かれています。朱世傑(13世紀後半)の『算学啓蒙』も16世紀末に伝わり、17世紀、久田玄哲、星野実宣、建部賢弘らによって訓点版や注解版が作られました。

中国では17世紀にはイエズス会の宣教師たちがヨーロッパの数学を伝え、1607年にはユークリッドの原論の前半6巻の漢訳『幾何原本』が刊行されています。またヨーロッパの天文学を記した『崇禎暦書』では三角法が説明されており、18世紀に日本に入ってきました。18世紀の大数学者梅文鼎(1633-1721)の著作『暦算全書』の解説書も書かれています。

実は中国の古い数学書は原本が失われたもの、あるいは長らく知られないまま埋もれていたものも多く、18世紀後半に編纂された「四庫全書」に収録されることで、よく知られるようになったものが多くあります。中国数学史研究は20世紀になって、李厳(1892-1963)の『中国数学源流考略』(1919)や銭宝琮(1892-1974)の『古算考源』(1930)が出版されることで、現代的なものとなりましたが、日本の数学史家三上義夫(1875-1950)による中国数学史の仕事がその先駆であったことも言っておかねばならないでしょう。

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