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3-7 パリ講和会議
パリ講和会議日本全権及び随員記念写真 ホテル・ブリストルにて 大正9年6月 『図録日本外交大観』所収
大正7(1918)年11月に同盟国と連合国の間で休戦協定が結ばれ、第1次世界大戦は終結した。翌年パリで開かれた講和会議に日本は五大国の一員として参加した。その際、健康の芳しくない首席全権西園寺公望に代わって、事実上の首席を勤めた牧野伸顕の手許に残されていたのが本史料である。
原内閣は講和会議への要求事項として、赤道以北ドイツ領南洋諸島の割譲、山東省のドイツ利権の譲渡、人種差別禁止を国際連盟規約へ盛り込むことを決定していたが、史料中の傍線からは、それらの要求と並んで連合国と「歩調を一にすること」が全権団の方針として重要視されていることがうかがえる。
講和ニ関スル方針
- 大正7年
- 牧野伸顕関係文書 書類の部 291-1
- 国立国会図書館