ホーム > 歴史史料はこう使う:基本編
当展示会では多数の史料を展示しているが、くずし字で書かれていたり、手紙のように当事者以外は通常見るべくもないものであったりと、一見敷居が高いものに映るのではないだろうか。しかし、こうした史料は歴史のひだに分け入る貴重な手がかりともなる。このコーナーでは、このような史料たちをより深く楽しんでいただくために、ある海軍軍人の書翰(手紙)を例に、歴史史料を読み解く基本手順を具体的に示してみたい。
差出人・宛名は?
書翰を史料として使うために、最初のポイントとなるのは差出人・宛名・年代の特定である。
差出人が「山梨勝之進」、宛名が「斎藤実」であることは、書翰の末尾と封筒の記述から確認できる。
- 斎藤実 『歴代首相等写真』所収(憲政資料室所蔵)
- (「近代日本人の肖像」へ)
(海軍軍人。朝鮮総督、首相、内大臣などを歴任)
- 山梨勝之進 『山梨勝之進先生遺芳録』所収
- (海軍次官、佐世保・呉鎮守府司令長官などを歴任)
いつ書かれたのか?
書翰の末尾には5月1日とあるものの、「年」の記載がなく、封筒には消印もない。そこで書翰本文に手がかりを探すと、「財部大臣」や「軍縮」といったキーワードを見つけることができる。
財部彪 『浜口内閣』所収
内閣制度の創設から現在にいたるまで、財部という姓の大臣は、「財部彪(たからべたけし)」のみである。財部は海軍大臣を2回つとめたが、このうち「軍縮」とかかわるのは、財部が軍縮会議に全権の一人として参加していたロンドン海軍軍縮会議の時と思われる。この会議は昭和5年に開催されたので、同書翰は昭和5(1930)年5月1日に書かれたものと推定される。
念のため、書翰に関係する人物について財部が海軍大臣であったときの肩書きを確認しておこう。
第二次山本権兵衛内閣 (大正12年9月~13年1月) |
浜口雄幸内閣 (昭和4年7月~6年4月) |
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浜口 雄幸 | 首相(立憲民政党総裁) | |
財部 彪 | 海軍大臣[1回目] (大正12年5月~13年1月) |
海軍大臣[2回目] (昭和4年7月~5年10月) |
山梨 勝之進 | 海軍次官(昭和3年12月~5年6月) | |
斎藤 実 | 朝鮮総督(昭和4年8月~6年6月) |
この史料は「山梨勝之進書翰 斎藤実宛 昭和5(1930)年5月1日付」と判明した。