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嘉永~慶応
年 |
月日 |
事項 |
関連史料 |
---|---|---|---|
嘉永6 (1853) |
6月3日 (7月8日) |
アメリカ東インド艦隊、浦賀沖に到着 | 合衆国書翰和解 |
嘉永7 (1854) |
1月16日 (2月13日) |
ペリー再来日、翌月より横浜村にて幕府代表との会談開始 | |
3月3日 (3月31日) |
日米和親条約調印 | [日米和親条約写] | |
安政5 (1858) |
6月19日 (7月29日) |
日米修好通商条約調印 | |
9月7日 10月13日) |
安政の大獄始まる(万延1(1860)年3月24日桜田門外の変まで続く) | ||
文久3 (1863) |
8月18日 (9月30日) |
禁門の変、朝廷内より尊皇攘夷派追放 | |
慶応2 (1866) |
1月21日 (3月7日) |
倒幕のため、薩長提携の密約成立 | |
慶応3 (1867・1868) |
6月 | 土佐藩士後藤象二郎ら、前藩主山内豊信に大政奉還を進言 | |
10月13日 (11月8日) |
倒幕の詔書出される | ||
10月14日 (11月9日) |
徳川慶喜、大政奉還上表を朝廷に提出 | ||
11月 | 坂本龍馬、新政府綱領八策を起草 | [新政府綱領八策] | |
11月 | 西周の政体構想「議題草案」成る | [議題草案] | |
別紙 議題草案 | |||
12月9日 (1月3日) |
王政復古の大号令 | ||
12月17日 (1月11日) |
新政府に総裁・議定・参与の三職設置 | ||
慶応4 (1868) |
閏4月21日 (6月11日) |
政体書公布、三権分立思想に基づく太政官制(8官)樹立 |
明治期
年 |
月日 |
事項 |
関連史料 |
---|---|---|---|
明治2 (1869) |
7月8日 (8月15日) |
官制改革(2官6省)、職員令制定 | |
明治4 (1871) |
7月29日 (9月13日) |
官制改革(3院8省)、太政官職制および事務章程制定 | 太政官職制沿革原文 |
11月12日 (12月23日) |
岩倉遣外使節団、横浜港を出発(~明治6(1873)年9月) | [伊藤博文手記 外遊日記] | |
明治5 (1872) |
4月 | 宮島誠一郎、左院に対し憲法の制定を建言 | 立国憲議 |
国憲編纂起原 | |||
明治6 (1873) |
10月25日 | 征韓論争に破れた西郷隆盛・板垣退助ら、参議を辞す(明治6年の政変) | 明治六年大久保参議起草政體ニ関スル意見書 |
明治7 (1874) |
1月12日 | 愛国公党結成 | [愛国公党本誓 (草案)] |
[愛国公党副誓 (草案)] | |||
1月17日 | 民撰議院設立建白書提出 | [民撰議院設立建白草稿 (三種)] | |
4月1日 | 立志社設立 | ||
― | この頃、青木周蔵の憲法草案「帝号大日本政典」成るか | 帝号大日本国政典 (草案) | |
明治8 (1875) |
2月11日 | 大久保利通・木戸孝允・板垣退助ら会合、政体につき協議(大阪会議) | [政府改革図案] |
[大阪会議申合草案] | |||
[大阪会議申合草案追加] | |||
4月14日 | 漸次立憲政体樹立の詔が出される | [立憲政体樹立の詔] | |
6月24日 | 第1回地方官会議開催(~7月17日) | ||
明治9 (1876) |
9月6日 | 元老院に国憲起草の勅諭くだる | 日本国憲按 |
10月 | 西日本各地で士族反乱勃発 | ||
明治10 (1877) |
2月15日 | 鹿児島で西郷隆盛挙兵、西南戦争始まる(~10月24日) | 攻城砲隊戦闘報告 |
6月 | 立志社が国会開設の請願を元老院および左院に提出 | [立志社建白写] | |
明治13 (1880) |
3月17日 | 愛国社の大会において国会期成同盟結成 | 国会ヲ開設スル允可ヲ上願スル書 |
[国会ヲ開設スル允可ヲ上願スル書 副願] | |||
7月 | 岩倉具視、憲法に関する意見を上奏 | 憲法中綱領之議 | |
明治14 (1881) |
8月 | 立志社の植木枝盛、憲法草案「東洋大日本国々憲案」を作成 | 東洋大日本国々憲案 |
10月11日 | 御前会議で国会開設方針・大隈重信の参議罷免などを決定(明治14年の政変) | [大隈重信の上奏文(写)] | |
明治15 (1882) |
3月14日 | 伊藤博文、憲法調査のため、ヨーロッパへ向けて横浜を出発 | [立憲政体調査につき特派理事欧洲派遣の勅書] |
明治18 (1885) |
12月22日 | 太政官制が廃止され、内閣制度が定められる(初代首相は伊藤博文) | 内閣職権 |
明治19 (1886) |
10月24日 | 星亨らを中心に大同団結運動高揚 | 報告書 |
明治20 (1887) |
6月 | 伊藤博文・伊東巳代治・金子堅太郎ら、神奈川県夏島の伊藤の別荘で憲法草案の検討開始 | 夏島草案 |
[大日本帝国憲法(浄写三月案)] | |||
明治22 (1889) |
2月11日 | 大日本帝国憲法発布 | |
2月12日 | 黒田清隆首相、憲法発布に際して超然主義演説 | [憲法発布に際しての黒田首相演説] | |
10月18日 | 大隈重信外相、来島恒喜の投じた爆弾により重傷(条約改正交渉の一時頓挫) | 在外公使宛電信訓令案 | |
明治23 (1890) |
7月1日 | 第1回衆議院議員総選挙 | 衆議院議員之証 |
7月10日 | 第1回貴族院伯子男爵議員互選選挙 | 貴族院子爵議員選挙人確定名簿・投票用紙 | |
9月15日 | 立憲自由党結党式 | 立憲自由党政綱調査箇条 | |
11月29日 | 第1回帝国議会開院式 | 井上毅書翰 伊藤博文宛 | |
[国会議事堂錦絵] | |||
明治25 (1892) |
2月15日 | 第2回衆議院議員総選挙。松方内閣による選挙干渉が政治問題化する | [衆議院選挙候補者名簿] |
国会議員双六 | |||
明治26 (1893) |
1月~2月 | 第4議会、軍艦建造費支出をめぐって政府と民党対立 | [「和協の詔勅」案] |
明治27 (1894) |
7月16日 | 日英通商航海条約調印(領事裁判権撤廃) | |
8月1日 | 日本、清国に宣戦布告。日清戦争勃発 | 蹇蹇余録草稿綴 | |
林菫書翰 陸奥宗光宛 | |||
明治28 (1895) |
4月17日 | 日清講和条約(下関条約)調印 | |
明治29 (1896) |
3月1日 | 立憲改進党などを中心に進歩党を結成 | 伊藤首相ノ施政方針談話要旨 |
明治31 (1898) |
6月22日 | 自由、進歩両党が合同し、憲政党が結成される | 宣言 |
6月30日 | 第1次大隈内閣(隈板内閣)成立 | 伊藤大隈板垣会見録 | |
明治33 (1900) |
9月15日 | 立憲政友会結成 | [立憲政友会会則草案] |
[立憲政友会の規約] | |||
明治34 (1901) |
5月18日 | 安部磯雄らが社会民主党を結成、即日結社禁止 | [社会民主党結成届・党則(写)] |
9月7日 | 義和団事変最終議定書締結 | 桂太郎自伝参[北清事変記述部分] | |
明治35 (1902) |
1月30日 | (第一回)日英同盟協約調印 | 英独協商ト日露同盟 |
明治37 (1904) |
2月10日 | 日本、ロシアに宣戦布告。日露戦争勃発 | [陣中携行ノート其一] |
明治38 (1905) |
9月5日 | 日露講和条約(ポーツマス条約)調印 | |
― | いわゆる桂園時代(~明治末) | 西園寺公望書翰 桂太郎宛 | |
西園寺公望書翰 桂太郎宛 | |||
明治43 (1910) |
5月25日 | 大逆事件検挙始まる | |
8月22日 | 韓国併合に関する条約調印 | [桂太郎覚書] | |
明治44 (1911) |
2月21日 | 日米通商航海条約改正調印(関税自主権確立) |
大正期
年 |
月日 |
事項 |
関連史料 |
---|---|---|---|
大正元 (1912) |
12月5日 | 第2次西園寺公望内閣総辞職 | [山県有朋意見書] |
上原勇作書翰 桂太郎宛 | |||
12月19日 | 東京で憲政擁護大会開催、以後全国へ広まる(第1次護憲運動) | ||
12月21日 | 第3次桂太郎内閣成立 | ||
大正2 (1913) |
2月7日 | 桂首相、立憲同志会宣言書発表 | |
2月20日 | 第1次山本権兵衛内閣成立 | ||
12月23日 | 立憲同志会結党式 | 立憲同志会綱領並政策案 | |
大正3 (1914) |
3月24日 | 山本内閣総辞職 | |
4月16日 | 第2次大隈重信内閣成立 | 井上侯・大隈伯会見要領筆記 | |
7月28日 | オーストリアがセルビアに宣戦布告。第1次世界大戦勃発 | ||
8月23日 | 日本がドイツに宣戦布告 | 大隈首相ト四元老会見記 | |
大正4 (1915) |
1月18日 | 日本が中国にいわゆる21ヵ条の要求を提示 | |
大正5 (1916) |
10月9日 | 寺内正毅内閣成立 | |
大正6 (1917) |
11月7日 | ロシアでソビエト政権成立(10月革命) | |
大正7 (1918) |
8月2日 | 寺内内閣がシベリア出兵を宣言 | 西比利亜出兵ニ関スル意見 |
8月3日 | 富山県中新川郡西水橋町で米騒動勃発、全国へ波及 | 大正七年日記 | |
9月21日 | 寺内内閣総辞職 | ||
9月29日 | 原敬内閣成立 | 政治日誌 壱巻 | |
11月11日 | 第1次世界大戦終結 | ||
大正8 (1919) |
1月18日 | パリ講和会議開催(~6月28日) | 講和ニ関スル方針 |
2月9日 | 東京で普選期成大会開催、各地に普選運動広まる | 全国普選連合会決議 | |
3月1日 | 朝鮮で独立運動が全土に拡大(3.1独立運動) | ||
5月4日 | 北京で学生によるデモが起こる(5.4運動) | ||
6月28日 | ベルサイユ講和条約調印 | ||
大正9 (1920) |
1月10日 | 国際連盟発足、日本も加盟国となる | |
3月15日 | 株価暴落、戦後恐慌始まる | ||
大正10 (1921) |
11月4日 | 原首相東京駅で刺殺され、内閣総辞職 | [松本剛吉電報 平田東助宛] |
11月12日 | ワシントン会議開催(~大正11年2月6日) | ||
11月13日 | 高橋是清内閣成立 | [首相就任演説稿] | |
大正12 (1923) |
9月1日 | 関東大震災 | 大正十二年日記 |
12月27日 | 摂政(皇太子)が狙撃される(虎の門事件) | ||
大正13 (1924) |
1月 | 第2次護憲運動 | 清浦内閣成立ノ顛末 |
6月11日 | 第1次加藤高明内閣成立 | ||
大正14 (1925) |
5月5日 | 衆議院議員選挙法改正公布(男子普通選挙実現) | 三派普選委員会決定案 |
治安維持法閣議決定書 |
昭和期
年 |
月日 |
事項 |
関連史料 |
---|---|---|---|
昭和2 (1927) |
6月1日 | 立憲民政党結成 | |
昭和3 (1928) |
2月20日 | 第16回総選挙(初の男子普通選挙) | [立憲民政党関西大会演説要旨] |
政友会の主要政策 | |||
普選に臨む立憲民政党の主義綱領 | |||
選挙の心得 | |||
[選挙ポスター(内務省、立憲民政党、立憲政友会、社会民衆党、麻生久、大山郁夫)] | |||
日本労農党第一回全国大会提出本部議案及報告 | |||
6月4日 | 張作霖爆殺事件 | ||
昭和4 (1929) |
7月2日 | 浜口雄幸内閣成立 | 日記 |
昭和5 (1930) |
1月11日 | 金輸出解禁実施(~4月22日) | |
1月21日 | ロンドン海軍軍縮会議開会 | ||
4月- | 統帥権干犯問題起こる | ||
10月1日 | ロンドン海軍軍縮条約を枢密院本会議で可決 | 倫敦会議ニ於ケル我最終態度決定ノ顛末 | |
幣原喜重郎書翰 牧野伸顕宛 | |||
乞骸始末 | |||
11月14日 | 浜口雄幸が東京駅で襲撃される | 第五九議会議場日誌 | |
昭和6 (1931) |
9月18日 | 柳条湖事件(満洲事変勃発) | 陸軍軍縮と西園寺公 [1] 第11回(ハ)~(ヘ) [原田熊雄日記] |
昭和7 (1932) |
3月1日 | 満洲国建国宣言 | |
5月15日 | 5.15事件 | [西園寺公望覚書] | |
7月15日 | 衆議院の議会振粛各派委員会で「議会振粛要綱」決定 | 議会振粛要綱 | |
10月24日 | 大日本国防婦人会設立 | [扇子] | |
昭和8 (1933) |
3月27日 | 日本、国際連盟脱退を通告 | |
昭和9 (1934) |
11月20日 | 陸軍青年将校がクーデター計画容疑で検挙される(士官学校事件) | 粛軍ニ関スル意見書 村中孝次・磯部浅一 |
昭和10 (1935) |
2月18日 | 菊池武夫が貴族院で天皇機関説を批判 | 備忘録 七 |
5月8日 | 選挙粛正委員会令公布 | 選挙粛正婦人聯合会規約・選挙粛正の為に我が国四千万婦人に愬ふ 愛国婦人会 | |
昭和11 (1936) |
2月26日 | 2.26事件 | 陸軍大臣告示 |
5月18日 | 軍部大臣現役武官制が復活 | ||
昭和12 (1937) |
1月29日 | 宇垣一成、組閣を辞退。林銑十郎に組閣命令くだる | 大命拝辞の上奏控 |
報知新聞号外 | |||
6月4日 | 第1次近衛文麿内閣成立 | ||
7月7日 | 盧溝橋事件(日中戦争勃発) | ||
11月15日 | 社会大衆党第6年度大会開催 | 宣言 社会大衆党第六年度大会 | |
昭和13 (1938) |
4月1日 | 国家総動員法公布 | 昭和十七年度国民動員実施計画 |
昭和十九年度物資動員計画改訂大綱(供給力計画附属資料) | |||
昭和14 (1939) |
9月1日 | ドイツ、ポーランド進撃を開始(第2次世界大戦勃発) | |
昭和15 (1940) |
2月2日 | 斎藤隆夫の反軍演説が政治問題化する | 斎藤代議士勧告拒否の弁 |
官報号外 第七十五回衆議院議事速記録 第五号・第六号 | |||
[斎藤隆夫演説削除部分] | |||
6月24日 | 近衛文麿が枢密院議長を辞任し、新体制運動推進の決意を表明 | [日記 有馬頼寧] | |
7月6日 | 社会大衆党解党、この後7~8月に他の政党も解党 | [各政党解党届] | |
7月22日 | 第2次近衛文麿内閣成立 | ||
9月27日 | 日独伊三国軍事同盟条約調印 | ||
10月12日 | 大政翼賛会発足 | 大政翼賛会実践要綱 | |
昭和16 (1941) |
7月28日 | 日本軍、南部仏印進駐 | |
10月18日 | 東条英機内閣成立 | ||
12月8日 | 日本軍、ハワイ真珠湾を攻撃(太平洋戦争勃発) | 近衛文麿書翰 有田八郎宛 | |
吉田茂書翰 牧野伸顕宛 | |||
時局防空必携 | |||
昭和17 (1942) |
2月2日 | 大日本婦人会結成 | 大日本婦人会概況 |
4月30日 | 第21回衆議院議員選挙(翼賛選挙) | 翼賛政治会創立総会次第 翼賛政治会規約 宣言・綱領 | |
6月5日~6月7日 | ミッドウェー海戦(戦局の転機) | ||
昭和18 (1943) |
2月1日 | 日本軍、ガダルカナル島撤退開始 | |
昭和19 (1944) |
7月22日 | 小磯国昭内閣成立 | 昭和十九年日誌 九月 十月 |
[日誌 高木惣吉] | |||
10月20日~ | レイテ戦 | ||
昭和20 (1945) |
2月4日~2月11日 | アメリカ・イギリス・ソ連がヤルタ会談をひらく | |
3月9日~3月10日 | 東京大空襲 | ||
4月1日 | アメリカ軍が沖縄本島に上陸 | ||
5月7日 | ドイツが無条件降伏 | ||
5月25日~5月26日 | 空襲で東京都内大半焼失、以降各地の都市に来襲 | 大木手記 昭和廿年五月十六日―六月八日 七月十四日 戦災 | |
Tactical Mission Report Mission No.183 | |||
Mission Summary Mission Number 183 | |||
[米軍投下ビラ] | |||
7月26日 | 米英中がポツダム宣言を発表 | ||
8月6日 | 広島に原子爆弾投下 | 広島復興都市計画街路網公園配置図 縮尺二万分ノ一 | |
8月8日 | ソ連、対日宣戦布告 | ||
8月9日 | 長崎に原子爆弾投下 | 長崎市全図 縮尺一万分ノ一 | |
8月14日 | ポツダム宣言受諾 | ||
8月15日 | 天皇、「終戦の詔書」を放送 | 吉田茂書翰 来栖三郎宛 | |
9月2日 | 降伏文書に調印 | ||
9月4日~9月5日 | 第88回臨時帝国議会開催 | 大東亜戦争ヲ不利ナル終結ニ導キタル原因並ニ其責任ノ所在ヲ明カニスルタメ政府ノ執ルベキ措置ニ関スル質問 | |
[政府の答弁書に関しての感想] | |||
9月22日 | 米国政府、初期対日方針を発表 | U.S. Initial Post-Surrender Policy for Japan (SWNCC150/4/A) | |
10月4日 | GHQが民主化指令を出す | Memorandum for: Imperial Japanese Government. Through: Central Liaison Office, Tokyo. Subject: Removal of Restrictions on Political, Civil, and Religious Liberties.(SCAPIN-93) | |
11月~ | 新規政党の結成相次ぐ | 新日本自由党結成準備記録 | |
赤旗 第1号 | |||
宣言 | |||
進歩党の政策大綱 | |||
Political Parties in Japan | |||
Political Parties in Japan: Developments during the Week Ending November 17, 1945 | |||
11月2日 | 日本社会党結成 | ||
11月9日 | 日本自由党結成 | ||
11月16日 | 日本進歩党結成 | ||
12月1日 | 日本共産党第4回大会 | ||
12月17日 | 改正衆議院議員選挙法公布 | ||
昭和21 (1946) |
1月4日 | GHQが公職追放を指令 | Memorandum for: Imperial Japanese Government. Through: Central Liaison Office, Tokyo. Subject: Removal and Exclusion of Undesirable Personnel from Public Office |
昭和二十一年日誌 | |||
2月13日 | GHQが憲法改正に関する草案を日本政府へ手交 | 憲法改正要綱 | |
Constitution of Japan[GHQ草案] | |||
3月6日 | 日本政府が「憲法改正草案要綱」発表 | 憲法改正草案要綱 | |
4月10日 | 第22回衆議院議員総選挙 | [戦後第一回総選挙ポスター] | |
[選挙演説原稿] | |||
[推薦状] | |||
5月22日 | 第1次吉田茂内閣成立 | ||
11月3日 | 日本国憲法公布 | ||
昭和22 (1947) |
1月4日 | 公職追放令拡大 | Memorandum for: Imperial Japanese Government. Through: Central Liaison Office, Tokyo. Subject: Elimination of War Profits and Reorganization of National Finance |
私の資格審査に就て | |||
辞職願 | |||
1月31日 | マッカーサー、2.1ゼネスト中止を命令 | Recommendations with Respect to U.S.Policy toward Japan(NSC13/2) | |
4月20日 | 第1回参議院議員通常選挙 | [参議院議員候補者ポスター] | |
5月3日 | 日本国憲法施行 | ||
5月24日 | 片山哲内閣成立 | 吉田茂書翰 牧野伸顕宛 | |
[General MacArthur's Statement] | |||
昭和23 (1948) |
6月23日 | 昭和電工事件で逮捕者が出る | |
昭和24 (1949) |
3月7日 | ドッジ公使、経済安定9原則実行を声明 | |
7月4日 | 国鉄、第1次人員整理を発表(翌日、下山事件) | なぜ首切に反対するのか | |
昭和25 (1950) |
6月6日 | マッカーサー、共産党幹部の追放を指令 | [Douglas MacArthur's Letter to Prime Minister] |
6月25日 | 朝鮮戦争勃発 | ||
7月8日 | マッカーサー、警察予備隊創設等を指令 | [Douglas MacArthur's Letter to Prime Minister] | |
警察予備隊瞥見 | |||
7月 | 日本労働組合総評議会(総評)結成 | 結成大会議案書 | |
昭和26 (1951) |
8月6日 | 鳩山一郎ら公職追放解除 | 新日記 昭和25年~27年 |
9月8日 | サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約調印 | [講和安保両条約に対する態度決定について] | |
10月24日 | 社会党左右両派に分裂 | ||
昭和27 (1952) |
2月8日 | 改進党結成 | 改進党綱領・宣言・政策大綱他 |
4月28日 | 講和条約・日米安保条約発効 | ||
5月1日 | メーデー事件 | ||
8月28日 | 衆議院解散(抜き打ち解散) | 吉田茂書翰 林譲治・益谷秀次宛 | |
9月29日 | 自由党、石橋湛山・河野一郎を除名 | 鳩山一郎書翰 吉田茂宛 | |
10月15日 | 保安隊発足 | ||
10月30日 | 第4次吉田茂内閣成立 | ||
11月28日 | 衆議院本会議で池田勇人通産相不信任案可決 | ||
昭和28 (1953) |
3月14日 | 衆議院本会議で吉田内閣不信任案可決。衆議院解散(バカヤロー解散) | 分党声明書 |
昭和二十八年四月総選挙遊説日程 | |||
3月18日 | 鳩山自由党結成 | ||
5月21日 | 第5次吉田内閣成立 | ||
昭和29 (1954) |
2月23日 | 衆議院、自由党有田二郎代議士の逮捕請求許諾(造船疑獄) | |
3月1日 | 第5福竜丸、ビキニの米水爆実験で被災 | ||
4月21日 | 犬養健法相指揮権発動(佐藤栄作自由党幹事長逮捕不承認) | ||
6月9日 | 自衛隊発足 | ||
11月24日 | 日本民主党結成 | 新党促進準備会 | |
新党創立委員会役員 | |||
綱領案 | |||
宣言案・決議・組織要綱(案) | |||
[日本民主党党則(案)] | |||
政策大綱(案) | |||
党名委員会報告 | |||
日本民主党立党宣言・綱領・政策大綱・党則 | |||
12月7日 | 吉田茂内閣総辞職 | 総理大臣に進言(閣議席上) | |
12月10日 | 第1次鳩山一郎内閣成立 | ||
昭和30 (1955) |
10月13日 | 社会党統一大会 | [日本社会党統一大会宣誓書] |
日本社会党綱領・運動方針・政策大綱 | |||
11月15日 | 自由民主党結成(保守合同) | [日誌] 昭和三十年三月下旬至同年九月十五日 | |
新党結成大会議案 | |||
吉田茂書翰 林譲治・池田勇人宛 | |||
昭和31 (1956) |
10月19日 | 日ソ国交回復共同宣言 | [日ソ交渉関係メモ] |
吉田茂書翰 林譲治宛 | |||
12月18日 | 国連総会、日本の国連加盟を全会一致で可決 | ||
12月23日 | 石橋湛山内閣成立 | 遊説演説原稿 | |
昭和32 (1957) |
2月23日 | 石橋湛山内閣総辞職 | |
2月25日 | 第1次岸信介内閣成立 | ||
昭和33 (1958) |
6月12日 | 第2次岸信介内閣成立 | |
10月8日 | 政府、警察官職務執行法(警職法)改正案を国会に提出 | [議事運営に関する要求書] | |
11月22日 | 警職法審議未了・衆議院自然休会で自社両党首合意 | ||
昭和34 (1959) |
3月28日 | 社会党・総評・原水協など日米安保条約改定阻止国民会議結成 | |
9月7日~ | 石橋前首相訪中。石橋・周共同声明発表 | [訪中帰国挨拶状] | |
10月25日 | 西尾末広ら、社会党を離党 | ||
昭和35 (1960) |
1月19日 | 新安保条約等、ワシントンで調印 | |
1月24日 | 民主社会党結成 | 綱領問題 | |
5月19日 | 衆議院安保特別委員会で新安保条約等、自民党単独で強行採決。引き続き20日未明の衆議院本会議でも強行採決 | [ノート] 新日米安保条約(1) | |
[衆議院日米安全保障条約等特別委員会質疑原稿](1) | |||
[総長所感日誌] | |||
アイゼンハワー書翰 岸信介宛 | |||
[国会解散を要求する演説草稿] | |||
6月10日 | 米大統領秘書来日。反対派に包囲され米軍ヘリで脱出(ハガチー事件) | ||
6月15日 | 全学連主流派、国会へ突入し警官隊と衝突。東大生死亡 | ||
6月23日 | 新安保条約批准書交換・発効。岸首相退陣表明 | ||
7月15日 | 岸信介内閣総辞職 | ||
7月19日 | 第1次池田勇人内閣成立 | ||
10月12日 | 浅沼稲次郎社会党委員長、日比谷公会堂で刺殺される | 浅沼委員長大阪談話 | |
12月27日 | 政府、所得倍増計画を決定 | ||
昭和36 (1961) |
2月5日 | 社会党、構造改革論を軸とする新方針決定 | |
7月18日 | 池田内閣改造 | ||
9月25日 | 第39臨時国会召集 | 総理所信表明演説草案 経済之部 |