ホーム > 第2章 明治国家の展開 : 概説
概説
憲法発布式之図 楊洲周延画 明治22年 (東京都立中央図書館特別文庫所蔵。無断使用禁止) 朝日新聞社『錦絵にみる明治天皇と明治時代』所収
明治14年の政変を契機に発せられた「国会開設の勅諭」によって明治23(1890)年の国会開設が決まり、立憲国家の枠組みも整えられていった。また自由党・立憲改進党が結成され、政党勢力も活性化した。明治17(1884)年には将来の上院の基礎をつくるべく華族令が制定され、翌年には内閣制度が発足した。この後伊藤博文の欧州での調査を経て、政府内部でも憲法草案の作成が進められ、明治22(1889)年2月11日大日本帝国憲法が発布された。
史料と解説
2-1立憲政体樹立の詔
- [立憲政体樹立の詔]
2-2元老院の憲法構想
- 日本国憲按
2-3明治14年の政変
- [大隈重信の上奏文(写)]
2-4岩倉具視の憲法構想
- 憲法中綱領之議
2-5伊藤博文のヨーロッパ憲法調査
- [立憲政体調査につき特派理事欧洲派遣の勅書]
2-6内閣制度成立
- 内閣職権
2-7憲法制定へ
- 夏島草案
- [大日本帝国憲法(浄写三月案)]
議会開設を控え、民権派の合同をめざす大同団結運動が高揚し、旧自由党勢力は立憲自由党に結集した。明治23(1890)年には第一回帝国議会が開幕したが、藩閥政府は、政党と一定の距離を維持する「超然主義」をとったため、初期議会においては政府と民党が激しく対立した。
史料と解説
2-8大同団結運動
- 報告書
2-9超然主義
- [憲法発布に際しての黒田首相演説]
2-10立憲自由党の成立
- 立憲自由党政綱調査箇条
2-11衆議院議員・貴族院議員の選出へ
- 衆議院議員之証
- 貴族院子爵議員選挙人確定名簿・投票用紙
2-12帝国議会の開幕
- 井上毅書翰 伊藤博文宛
2-13選挙干渉
- [衆議院選挙候補者名簿]
2-14「和協の詔勅」
- [「和協の詔勅」案]
2-15国会議員双六
- 国会議員双六
2-16国会議事堂
- [国会議事堂錦絵]
伊藤博文と大隈重信(大磯の伊藤の別荘にて) 『大隈侯八十五年史』第2巻所収
日清戦争後に藩閥の一部は産業化、軍拡を柱とする「戦後経営」を推進すべく政党との提携に踏み切り、「伊藤系」と「山県系」に再編された。複雑微妙な提携が繰り返される中、初の政党内閣である第1次大隈内閣(隈板内閣)は短期間で退陣したが、明治33(1900)年には、伊藤博文の主導により、政党と官僚勢力を母体とする立憲政友会が結成された。日露戦争後には、桂太郎と西園寺公望が政権を交代で務める桂園時代を迎える。
史料と解説
2-17政党と政府の接近
- 伊藤首相ノ施政方針談話要旨
2-18隈板内閣の成立へ
- 宣言
- 伊藤大隈板垣会見録
2-19立憲政友会の成立
- [立憲政友会会則草案]
- [立憲政友会の規約]
2-20社会民主党の結成(初期社会主義)
- [社会民主党結成届・党則(写)]
2-21桂園時代
- 西園寺公望書翰 桂太郎宛
- 西園寺公望書翰 桂太郎宛
明治時代は、外国との関係においても多事の時代だった。朝鮮半島の支配権をめぐって清国との間には緊張が続き、日清戦争が勃発した。清国が敗退した後、ロシアが朝鮮半島に浸透し、日露間で調整が続いたが、結局は日露戦争へと至った。日露戦争後、日本は朝鮮半島への支配を強化し、韓国併合に至った。また明治27(1894)年の治外法権撤廃、明治44(1911)年の関税自主権の回復をもって、懸案であった条約改正は、一応の解決をみた。