ホーム > 第5章 新日本の建設 > c. GHQと戦後改革 > 憲法改正(松本委員会)
5-6 憲法改正(松本委員会)
憲法公布記念都民大会 昭和21年11月3日 『吉田内閣』所収
昭和20(1945)年10月25日、松本烝治を委員長とする憲法問題調査委員会(松本委員会)が政府に設置された。この委員会は当初調査研究を目的としていたが、「内外の情勢」により憲法改正をその目的とすることとなった。委員会での改正作業は秘密裡に進められていたが、委員会内で作成された二案のうち比較的リベラルな試案が翌年2月1日の毎日新聞によってスクープされた。この案は他の新聞各紙及びGHQ内でも批判的に受け止められ、GHQ自らが憲法改正に向けて動き出すこととなった。
松本委員会は2月8日に「憲法改正要綱」をGHQに提出したものの却下され、逆に2月13日、民政局によるマッカーサー草案が提示された。これは2月3日にマッカーサーが示した、天皇制存続、戦争放棄、封建制度廃止のいわゆるマッカーサー3原則を基礎として起草されたものだった。
これを受けた日本政府はGHQ草案に沿った憲法改正を決め、2月27日から法制局の入江俊郎次長と佐藤達夫第一部長が中心となって日本政府案の作成に着手した。3月2日に試案が完成し、その後GHQとの徹夜の協議を経て、3月5日に出来上がった完成案は翌6日に「憲法改正草案要綱」として発表された。その後、口語体での条文化が進められ、4月17日、「憲法改正草案」として公表された。
憲法改正要綱
- [昭和21年2月8日]
- 佐藤達夫関係文書 22
- 国立国会図書館
Constitution of Japan[GHQ草案]
- [昭和21年2月13日]
- 佐藤達夫関係文書 31
- 国立国会図書館
憲法改正草案要綱
- [昭和21年3月6日]
- 佐藤達夫関係文書 46
- 国立国会図書館