開館70周年記念展示「本の玉手箱―国立国会図書館70年の歴史と蔵書―」
開館70周年記念展示「本の玉手箱―国立国会図書館70年の歴史と蔵書―」
歴史上の出来事や地名、作品名は忘れても、その絵や写真は覚えているという方も、多くいらっしゃるだろう。本節では「教科書で見た本」と題し、教科書、あるいはテレビなどで見たことがあるに違いない資料を、歴史の流れに沿って紹介したい。
世界最古の印刷物
神護景雲4(770)年【WA3-1】
展示資料は、制作年代が明確なものとしては世界最古の印刷物として著名な、いわゆる「百万塔陀羅尼」である。奈良時代の女帝、称徳天皇が作らせた。根本陀羅尼(こんぽんだらに)を始めとする4種の陀羅尼(仏教の経文の一種)を100万基の小塔に納めて、10か所の寺に奉納したとされるが、現存するのは法隆寺に納められていたもののみである。
見たことのある絵巻?
〔土佐長隆 土佐長章 画〕〔19世紀〕写【寄別1-3-1】
展示資料は、鎌倉時代の二度にわたる蒙古襲来を、肥後国(現在の熊本県)の御家人竹崎季長(たけざき すえなが)を中心に描いた中世合戦絵巻の代表作である。江戸時代に盛んに模写された。展示資料はその一つである。
住吉〔広行〕〔ほか〕寛政(1789-1801)頃 写【WA31-4】
展示資料は、平治の乱(1159年)の顛末を描いた絵巻物。鎌倉時代中期(13世紀後半)に成立した原本を、江戸時代の画家住吉広行が忠実に模写したものである。
西洋から見た日本
〔par Jean Crasset〕Estienne Michallet 1689【WA41-29】
キリスト教伝来以降、宣教師などによって日本の情報が西洋に伝わるようになった。著者のジャン・クラッセはイエズス会士。展示箇所は島原の乱に関する部分の挿絵で、雲仙岳(長崎県)の「地獄」(高温ガスや熱湯が噴出する場所)でキリシタンが迫害される様子を描いている。
by Arnoldus Montanus English'd and adorn'd by John Ogilby Printed by T. Johnson 1670【WA41-1】
著者のアルノルドゥス・モンタヌス自身は来日経験がなく、宣教師などからもたらされた情報に基づきこの本を執筆した。大仏を描いた展示箇所に見られるように、誤解も多かったが、西洋では人気を博し、『ガリバー旅行記』の日本に関する部分もこの本を参考にしたと言われている。
当館は、戦前の帝国図書館時代から、海外で刊行される日本関係資料(日本を主題とする資料、日本人の著作など)を重点的に収集してきた。日本関係資料が、納本制度で収集される国内刊行資料同様、「国の蔵書(ナショナル・コレクション)」の重要な構成要素にあたるという考え方による。資料の収集にあたっては、購入のほか、国際交換や寄贈などの方法も活用している。新刊書は学術書を中心に、日本文化の広がりを把握できるよう包括的に収集し、古書もできる限り入手に努めている。古書の一部は、貴重書又は準貴重書に指定されている。
よく知られたこの扉絵
〔キュルムス 著〕杉田玄白〔ほか〕訳 小田野直武 画 須原屋市兵衛 安永3(1774)年【わ490.9-15】
『解体新書』は、ドイツ語の医学書のオランダ語訳(いわゆる『ターヘル・アナトミア』)を日本語に重訳したものである。これによって、初めて西洋の解剖学が体系的に紹介された。明和8(1771)年から始まった翻訳事業の苦心は、杉田玄白の回想録『蘭学事始』に詳しい。
日本初の定期刊行雑誌
慶応3(1867)年【WB42-32-2】
洋学者柳河春三(やながわ しゅんさん)が社会科学・自然科学の啓蒙を企図して創刊し、主にオランダの学術雑誌からの翻訳記事を掲載した。月刊として始まり、中断を経て明治2(1869)年までに6巻を刊行したが、翌年の柳河の急死により廃刊となった。
新聞はここから始まる
蕃書調所〔編訳〕老皀館 文久2(1862)年【WB43-82】
幕末には海外の情報収集のために入手した外国の新聞を幕府が翻訳して刊行することが行われ、これが今日の新聞の源流の一つとなった。展示資料は、オランダ領東インド総督府がバタビア(現ジャカルタ)で発行していた広報機関紙“Javasche Courant”を抄訳したもの。
坂本龍馬の直筆です
坂本龍馬 慶応3(1867)年11月【石田英吉関係文書1】
坂本龍馬が新国家構想を記した「船中八策」をもとに、龍馬が土佐藩重役に示した政体案。のちの明治新政府の基礎となる内容を含む。下の段の筆跡は中岡慎太郎が王政復古を画策していた時期に詠んだ詩(未定稿)。巻物『亡友帖』(ぼうゆうちょう)は、石田英吉(土佐藩出身、幕末に奇兵隊などに参加)の旧蔵のもの。
少しずつ違います
〔明治7(1874)年1月〕【古沢滋関係文書13】
歴史の教科書でもおなじみの「民撰議院設立建白書」は、板垣退助らが政府に対して国会の設立を求めたもの。草案を作った古沢滋(自由民権運動家、官僚)の手元に残った三種の草稿により、建白書の推敲の過程がつぶさに分かる。
当時最先端の地図
参謀本部陸軍部測量局 明治20(1887)年8月【YG915-82】
展示資料は、明治20(1887)年に参謀本部陸軍部測量局(現在の国土地理院の前身)が出版した銅版図9面のうちの1面である。測量は明治9(1876)年に開始され、明治17(1884)年に終了した。測量原図はフランス式の彩色図式であったが、出版時にはドイツ式の一色図式となった。
世界遺産になりました
富岡製糸場は明治政府の殖産興業政策の一環として、明治5(1872)年に建設された官営模範製糸場。フランスから技術者を招き、女工たちを訓練して生糸生産の近代化に取り組んだ。一曜斎国輝(二代歌川国輝)は江戸時代末期から明治にかけて活躍し、明治開化絵では代表的な絵師の一人とされる。
一曜斎国輝 画 明治5(1872)年【本別9-28】
展示資料は操業当初の富岡製糸場の外観で、現在国宝に指定されている東西の置繭所(おきまゆじょ)などの建物が見える。
一曜斎国輝 画〔明治5(1872)年〕【寄別7-4-2-5】
有名なこの横顔
東京新詩社 明治34(1901)年【特52-717】
歌人与謝野晶子の第一歌集である。「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」などの短歌だけではなく、表紙のデザインも有名である。本文中にも美しい挿絵がある。これらは、ともに洋画家の藤島武二(ふじしま たけじ)のものである。
若き芥川の傑作
芥川龍之介 著 阿蘭陀書房 大正6(1917)年【357-244】
多くの国語教科書に取り上げられ、広く知られている芥川龍之介の「羅生門」の初版本である。亡き師夏目漱石への献辞を収めた展示資料の表紙題字は、漱石の親友であるドイツ語学者で能書家の菅虎雄(すが とらお)によるものである。
社会科の時間に習う文学
小林多喜二 著 戦旗社 昭和4(1929)年【F13-Ko12-5ウ】
この小説は、国語教科書の題材より、プロレタリア文学の傑作として、社会科の教科書や資料集で紹介されることが多い。この展示資料とは別に、国立国会図書館デジタルコレクションの「内務省検閲発禁図書」で公開している『蟹工船』(原本は米国議会図書館所蔵)の表紙には、検閲により「削除処分モノ」との書込みがある。
戦前、国内の出版物は内務省の検閲を受けており、発売禁止(発禁)などの処分を受けたものは、同省及び帝国図書館に保管された。
戦後、内務省保管分は米国に接収されたが、政府間交渉の末、昭和51(1976)年から53(1978)年に約1,000冊が日本に返還され、当館に収められた。
帝国図書館保管分とあわせると、現在約2,200冊を所蔵している。また、未返還分も、米国議会図書館と共同でのデジタル化により、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。
注:本の中には、処分理由(安寧秩序妨害(禁安)・風俗壊乱(禁風))や検閲官のコメントが直接書き込まれたものもある。