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1-3 西周の政体構想
文久2(1862)年、幕府がオランダに派遣した、最初の留学生。右端が西周。 『幕末名家写真集』第[1]輯所収(国立国会図書館デジタルコレクションへ)
「議題草案」は、幕府開成所教授職を務めた西周が、徳川慶喜の側近であった平山敬忠に提出した意見書である。公議政体の樹立が求められる中、大政奉還(慶応3(1867)年10月)に引き続き幕府が取り組む政策として、会議制度の創設を提案している。
「別紙 議題草案」は、上記に基づき作成された、徳川家中心の政体案である。西洋の官制に倣う三権分立を取り入れ、行政権を将軍が、司法権を便宜上各藩が、立法権を各藩大名および藩士により構成される議政院がもつこととしており、天皇は象徴的地位に置かれている。同年12月、王政復古の大号令により朝廷を中心とする明治新政府の成立が宣言されたため、この草案に基づく政治体制が実現することはなかった。